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第19章㉖
同じ頃、金本はすでに中山たちの誘導で、駐機場へ機体を向かわせている。
キ100から降りた金本は、駆け寄ってきた童顔の整備班長に、柳の輪を示した。
「お前がくれたお守り、効果あったぞ。霊感あらたかだ」
「…それを言うなら、霊験あらたかです」
中山は、金本の言い間違いを律儀に訂正する。それから、
「おかえりなさい」
と言った。一拍遅れて金本も、
「ただいま」
と返した。
金本は中山に柳の輪を手渡した。毎回、古いものを返して、次に乗る時は中山が新しいものを編む。そういう習慣が出来つつあった。
搭乗員の詰所へ向かう金本を見送り、中山は用済みになった枝を、自分のつなぎのポケットへ入れようとした。だが、うっかり力の加減を誤ったらしい。「あっ」と思った時には、編んだ枝がほどけて、バラバラになってしまった。
その時、中山は奇妙なことに気づいた。作って半日程度しか経っていないのに、葉も枝もカラカラだ。こんなに早く干からびてしまうなんて、今までなかったことだ。
「…せめて壊れたのが、今でよかった。出発前だったら、とんだ凶兆だ」
そう口に出して、心に抱いた不吉な予感を意図的に追い払った。
詰所の入り口近くに、金本は見覚えのない兵を見出した。
その兵は、暗闇から現れた金本を丁重に呼び止めた。
「--失礼致します。金本勇曹長どのですか?」
「ああ。俺だが」
返事を聞いた兵は、ほっとした表情になった。おそらく、先にやって来た何人もの搭乗員に同じ質問をし、やっと目的の人物を探し当てたからだろう。
「戦隊長どのから伝令です。至急、本部までお越しください」
至急とあって、金本は黒木が戻ってくるのを待つことはできなかった。
代わりに、呼び出しを受けたことを詰所の今村に伝える。その後、兵と一緒に戦隊に割り当てられた建物へと向かった。
帰投直後に呼び出される理由について、金本には全く心当たりがなかった。一抹の不安を感じたが、そもそも疲れ果てていて、考える気も起こらない。どのみち行けば分かるだろうと、腹をくくった。
案内された薄暗い部屋に、戦隊長はいなかった。
代わりに二人の男がいた。いずれも軍服を着て、少佐の階級章を帯びている。
片方とは初対面だが、もう一人は暗くてもすぐに誰か分かった。
「…金本勇曹長、参上しました」
飛行服姿のまま、金本は敬礼する。礼儀に反すると思ったが、旧知の人物のことが気になって、ついそちらに視線が向く。すると、向こうも複雑な顔つきで、金本の方を見ていた。
明らかに、相手も金本のことを覚えている。まあ、おかしなことでもない。金本はかつて、彼に毎日のように叱られ、殴られていた。手を焼かせる生徒だったことは間違いなく、相当に迷惑をかけたという自覚はあった。
--上原 班長。
金本が在籍していた熊谷飛行学校で、教育班長を務めていた人物。上原昇その人だった。
かつての恩師が、なぜこの場にいるのか。
金本が疑問に思っていると、もう一人の少佐が口を開いた。
「金本勇曹長」
妙に芝居がかった態度で呼びかける。
「貴官に会うのは初めてだが、噂は前々から聞き及んでいるぞ。朝鮮の生まれだが、武勇無比の戦闘機乗りだと。会えて喜ばしいぞ…--」
男の口から、熱っぽい声で空疎な言葉が吐き出される。金本は仏頂面で、沈黙を保った。
呼び出された理由も、ここに上原がいる理由も曖昧模糊としており、目の前で話す男が誰かも分からぬ現状では、そうする以外になかった。
男の正体を知ったのは、その直後のことだ。一方的に話した末に、男は言った。
「この小脇順右、感激しきりだ」
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