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第19章㉘
小脇のその台詞は、金本にとって予想の範囲内のものだった。それでも、受ける衝撃が小さくなることは、ほとんどなかった。
二百五十キロ爆弾を胴体に吊り下げ、片道分の燃料を積んだ航空機で沖縄まで行き、米軍の船に衝突する。
その後で、生き残る可能性は万に一つもない。
死ぬ。
金本勇の--金蘭洙の二十五年の人生は、そこで断ち切られ、終わる。
…立ち直れない金本の耳に、追い討ちをかけるように、耳障りな声が入ってくる。
「--貴官の愚昧な兄が国賊だったことは、聞き及んでいる」
小脇のその言葉を聞いた金本は、血が出るほど強く拳を握り締めた。
そのことに、小脇は気づかなかったが、上原は気づいた。
かつて上原は教育班長という立場で、間近で金本と接してきた。金本が怒りを爆発させる兆候も、その際、どれほどの被害を周囲に及ぼすかも、嫌というほど知っている。
金本が小脇に殴りかかったとしても、上原は驚かなかっただろう。さらに立場上、止めに入りはしても、それは小脇が何発か殴打された後のことだっただろう。
しかし、金本はギリギリのところで自重した。
惨劇が紙一重で回避されたとも知らず、小脇はなお、まくし立てた。
「貴官にとっても、家族にとっても、これは汚名をそそぐ最後の機会だ。貴官が散華した暁には、その名は大日本帝国に忠節を尽くした者として、永く残ることだろう……--」
…十分後、金本はひとり廊下に立っていた。
小脇の熱弁の最後の部分は、大半が耳を通り抜けて記憶に残っていない。すべてが、うなされながら見る、悪夢の中の出来事のようだった。
明後日の朝ーー日付がもうすぐ変わるので、あと三十時間ほどしかない--に予定されている特攻隊の一員として、金本は知覧を飛び立つことになる。
「貴官は、立派な軍人だ。いつでも死ぬ覚悟はできているだろう?」
小脇にそう決めつけられて、金本が口にできる返事は一つしかなかった。
「ーーつつしんで、拝命いたします」
答えた声は、およそ自分のものとは思えなかった。
ぼんやりしていた金本は、廊下にまで響いてきた怒声で我に帰った。
「--そんな道理の通らないこと、俺は絶対に認めんからな!!」
直後、台風で飛ばされた看板のように、戦隊長の部屋の扉が勢いよく開いた。
黒木だった。口を引き結び、怒気を発散させながら、階下へ向かおうとする。
その途中で、廊下に突っ立っている部下の存在に気づいた。
黒木の顔を見て、金本はおよそのことを察した。金本が特攻へ行くことを、黒木は戦隊長を通じて聞かされたのだ。
美しい大尉は数秒、無言で金本をにらみつけた。それから押し殺した声で、
「…来い」と言った。
金本は、何も言わずに従った。そのまま、並んで階段まで来た時だ。
黒木が足を止め、降りようとする金本の背後に、さっと回り込んだ。
金本が不審に思うのと、黒木が両手を突き出すのが、ほぼ同時だった。
金本の足が浮き、身体が宙に投げ出された。そのまま踊り場に叩きつけられるかと思われたが、寸前で受け身を取って、衝撃をやわらげた。生来の反射神経のよさと頑強さに助けられ、金本はほとんど怪我らしい怪我も負わずに済んだ。
「何をする…!」
叫びかけて、金本はその言葉を飲み込んだ。黒木が、一気に段を飛び降りて来て、真横にダンッと着地する。
階段は、まだ半分残っている。
金本の反応は早かった。再び突き落とそうとする黒木の両腕をかいくぐり、そのまま一目散に階下へ逃れた。
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