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第19章㉙
全速力で駆け抜ける金本に、兵たちがなにごとかと振り返る。彼らの間をすり抜けて、金本は建物の外へ飛び出した。
「待ちやがれ、この野郎!!」
わずか数メートル後ろで、黒木の怒号が上がる。勝手知ったる調布飛行場なら、暗さも味方して金本はそのまま逃げ切れたかもしれない。しかしここは、来てまだ日が浅い知覧だ。
隠れるのに適当な場所を見つけるより先に、黒木に追いつかれた。
黒木は金本を羽交締めにすると、そのまま地面に押し倒した。二人とも身体のあちこちに擦り傷ができたが、どちらも気にも留めなかった。
馬乗りになった黒木が、右腕を金本の首に回す。絞め技をかけて、気絶させる気だ。
金本は歯を食いしばり、腕と肩に力を込めた。筋肉がきしむ。痛みを無視し、六十キロをゆうに越える黒木を背に乗せたまま、一気に立ち上がった。
流石に、これには黒木も驚いた。その拍子に、ほんの一瞬拘束がゆるむ。絶好の機会を逃さず、金本は黒木を叩き落とすと、相手の腕が届かぬ距離まで後ずさった。
「やめろ、栄也!!」
金本は肩で息をしながら、朝鮮語で言った。
「俺を特攻隊から外すために、わざと怪我をさせる気なんだろう。頼むから、そんな真似はやめてくれ!」
「…そうと分かっているのなら。今すぐ、どこかの二階から飛び降りろ。怖気づくというなら、俺が背中を押してやる」
黒木の言葉に偽りはない。微塵も。すでに先ほど、実行済みだ。
金本は暗い目を黒木に向けた。
「…できない」
「ざけんな!! このままじゃ、あさっての朝には死にに行かされるんだぞ。そんなバカな話があってたまるか!!」
「俺には、家族がいるんだ!」
金本はたまらず叫んだ。
「特攻隊から外れようとしたことが知られたら……そうならなくても、少しでも反抗心ありと疑われたら、朝鮮の父母や兄が、どんな目に遭わされるか分からない。行く以外に、選択肢はないんだ」
あたりには灯りはなく、暗かった。それでも、黒木の瞳が絶望で満たされるのが分かった。
「ーー俺のことは、諦めてくれ」
金本はやっとの思いで言った。肉体も精神も負荷がかかりすぎて、潰れそうだ。もし、黒木がもう一度飛びかかってきたら、振り払える自信はなかった。
黒木はその場に、とどまった。
離れたところから、金本に浴びせた声は、虚ろで震えていた。
「……こんなことになるなら、知覧へ戻るんじゃなかったな。どこかの小島へ不時着しておけばよかったんだ」
黒木はそれだけ言って、去った。金本は追わなかった。
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