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第19章㉝

 金本が乗る機体は、一式戦「隼」と決まった。  今の戦況下では僥倖と言える。「ただ、ぶつかるだけでいい」という理由で、より旧式の機体や、もっとひどい場合、練習機で行かされる実例もあったからだ。  特攻に使う隼は、すでに特攻機専門の整備班の手で、整備が済んだ状態だと聞いた。その機体で、金本は一度だけ「体当たり」の練習をさせてもらえることになった。  …滑走路へ向かう途中、金本はある場所へ寄った。  昨晩まで、自分の愛機だった「五式戦」を停めた駐機場。探すまでもなく、会いたい相手はすぐ見つかった。痩せた小さな身体に、ぶかぶかのツナギをまとった青年は、五式戦の翼の下で、地面に落ちた影を、身じろぎもせずに見ていた。 「中山」  呼びかけると、相手がはじかれたように顔を上げる。  近づいてくる金本を、中山は無言で見返した。 「もう、聞いたと思うが。俺は特攻に行くことになった」 「……」 「今まで、世話になった。調布飛行場に来てから、今日まで生き残れたのはお前のおかげだ。ーー大したものじゃないが、これ受け取ってくれ」  そう言って、金本は手にしたずだ袋を差し出す。中身は、本当にささやかなものだ。松岡に手伝ってもらって手に入れた缶詰と酒、それから余っていた煙草に、いくばくかの現金。  中山のこれまでの働きに報いるには到底、釣り合わないが、これが今の金本にできる精一杯だった。  だが、中山はずだ袋をいちべつしただけで、手を動かさなかった。 「…いりません。そんなもの」  涙をこらえた顔で、怒ったように金本を見上げる。 「俺が欲しいのは、金本曹長どの。あなたの無事な姿だけです」 「頼むから、受け取ってくれ」  金本は、言い聞かせるように話す。 「そして、ちゃんと別れを言わせてくれ。じゃないと、心残りになる」  それを聞いて、中山は顔をそむける。 「…ずるいですよ。その言い方は」 「受け取ってくれ」  金本は再三、くりかえす。ついに中山は根負けし、腕を伸ばして受け取った。  片手に袋をだらりと下げたまま、中山は金本に言った。 「金本曹長どの。これが最後の機会ですから、どうか正直に答えてください」 「……何だ?」 「あなたは、死ぬのが怖くないんですか?」  前に、同じ問いを中山から投げかけられた。そのことを、金本は覚えていた。その際、自分が「わからない」と答えたことも。  金本は、自分の整備班長だった男を見返す。  会ったばかりの頃は、金本と同じ口数が少なく、人と距離を置く人間だと思っていた。  しかし、本当はお節介なくらいに世話焼きで、心の温かい男で、ずっと親身に金本を支えてくれた。  まるで、仲たがいする前の光洙のように。  …金本は遅まきながら気づく。中山に報いるには、やはりあんなつまらぬ品々では全然足りなかった。けれども残していけるものは、もう何もない。  金本にできることがあるとすれば、せめて中山の重荷になるようなものを、何も残さないことだけだった。 「ーー大丈夫だ。怖くない。だから、安心してくれ」  金本はそう言って、それとわかる程度に微笑した。  中山は金本をじっと見つめ、それからゆっくり頷いた。  …滑走路へ去っていく金本の後ろ姿を、中山は五式戦のそばで見送る。その姿が見えなくなった後、主を失った戦闘機の翼を撫でて、つぶやいた。 「シュオーフアン(うそつき)」  翼の影に、小さな光が差し込む。  気づいた中山は、明滅する光を食い入るように見つめる。その顔には、何かを決意した色がにじんでいた。

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