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第19章㉞

 金本は一日のうちに、何度も空を見上げた。特攻隊員たちの兵舎へ向かう時も、滑走路で「体当たり」の訓練のために順番を待っている時も、離陸して空へ上がった後も。雲の動きを無意識に目で追っていた。  長年の経験で、雨が降りそうな時は、雲の雰囲気や大気の匂いで分かる。  雨が降る兆候は、一つも認められなかった。再び地上へ降り立った時には、今日もそして明日も、おそらくずっと晴れたままだと、結論した。  今村と林原が特攻隊員の兵舎へやって来たのは、午後三時を過ぎた頃だった。  金本は兵舎の壁に背をあずけ、薄暗い中、便箋に遺書をしたためていた。故郷の家族へ送るためだ。  文面は短かった。その上、父や兄には漢字以外、理解できない日本語で書かざるを得なかった。記したのは、特攻に行くことになったことと、両親と兄夫婦に健康で長生きしてほしいという願いだけだ。「先立つ不幸をお許しください」と言う文言さえ、書くのがはばかられた。検閲されたら、「名誉の戦死」を心よく思っていないと、受け取られかねない。  書いている間中、老いた父の姿が金本の脳裏にちらついた。「生きているだけでいい」という父の願いを、自分は打ち砕くことになった。三男の戦死を知った母は、光洙の骨を前にした時のように、嘆き悲しむだろう。  心底、申し訳ないと思った。そして、申し訳ないと思う本心さえ、満足に伝えられないことが同じくらい辛かった。  松岡が遠慮しがちにやって来て、今村たちの来訪を告げたのは、ちょうどそんな時だった。 「その…ささやかだが、別れの宴を開くつもりだ。金本曹長と、よかったら松岡にも参加してほしい」  今村の申し出に、金本は一瞬、松岡と視線を見交わす。金本は、すぐに返事をした。 「ありがとうございます。行かせていただきます」 「俺も、ご一緒します」  二人の言葉を聞いて、今村は顔に安堵を浮かべた。さっそく、宴会の場所と開始時間を金本たちに告げる。その後で、ほんの少し声をひそめた。 「明日の直掩に出る搭乗員が決まった。俺と林原も、入っている。ありがたいことに、黒木大尉どのが、直掩隊を率いることになった。戦隊長どのの、せめてもの配慮だろう」 「そうですか」 「それと、大尉どのが謹慎している場所がわかった。蓮田少尉が探りだして、教えてくれたんだ」  黒木は飛行場の中核と言うべき「庁舎」の一室に、隔離されているという。 「会いに行くのは難しいが、手紙くらいなら何とか届けられると思う。必要なら預かるが、どうだ?」 「……いえ、けっこうです」  金本は丁重に断った。  黒木にも、何かひと言、残すべきだと分かっている。しかし、どんな言葉を遺せばいいのか、今は何も思いつかない。    日が高い内には、何ひとつ書けそうになかった。

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