403 / 474
第19章37
開けっぱなしの窓の下に、金本が落とした白い花が横たわっている。時折、夜風でカーテンが揺れると、朧月が可憐な花の姿を照らし出した。
月の光は、部屋の隅までは届かない。そこに敷かれた布団の上で、金本は黒木を押し倒し、勢いのまま、またがった。普段、閨 で黒木に示すいたわりや優しさは、一片もなく消え失せている。荒々しく、まるで陵辱するかのように、相手の軍服を剥ぎとっていく。抜かれたベルトが床に触れ、ガシャと音を立て、その上にシャツが無造作に放り出された。
黒木は何も言わず、金本にされるがまま身をまかせた。全裸にされ、自らも裸になった金本が覆いかぶさってきた時も、肩や胸に執拗に歯で噛み跡をつけられた時も、ほとんど慣らされていない後孔に、いきり立つ肉棒を突き立てられた時も、声を押し殺し、固く目をつむって耐えた。
だが、無理やり身体を暴かれる痛みは強烈で、手足の関節は硬直し、肌に冷たい汗がにじんだ。そこに金本がのしかかってくると、たちまち熱っぽい汗が混ざり合った。
貫かれている部分が軋 む。徐々に黒木は受け入れ始めたが、それに比例するように金本の動きが激しくなっていく。腹の奥のいちばん敏感な部分を何度も責められ、黒木の歯の間から喘ぎが漏れ始めた。
最上級の苦痛と快楽が、ないまぜになって襲いかかってくる。「やめてくれ」という懇願の言葉すら、うまく舌にのせられない。頭の中がぐちゃぐちゃで、瀕死の獣のように、間断なくうめいた。このまま、本当に責め殺されそうな気さえした。
焦点の合わない目で、黒木は己を蹂躙する相手を見上げる。
その時、金本の目元から一筋の細い流れがつたい、黒木の頬へ落ちた。
自分の目ににじむのが、汗か涙か金本にも分からなかった。
黒木の姿を目にした瞬間から、自分の中で手のつけられない激情が、怒った龍か、手負いの虎のように暴れ狂っていた。その正体を、金本は中々つかめなかった。
死への本能的な恐怖? 生への渇望? ーーしかし黒木を抱くうちに、金本はようやく悟った。
濁流のように溢れ出る感情は、未来を奪われることへの絶望だった。
黒木と一緒に笑って、泣いて、喧嘩して、支えあって、積み重ねていくはずだった時間は、金本の手から砂漠の砂のように、こぼれ落ち、失われてしまった。
「……うぅ…」
あの夜と同じだった。黒木を永久に失ったと思い絶望した、あの夜と。
違いがあるとすれば、明日、いなくなるのが金本の方だということだ。
今、黒木と重ねている手も、彼を抱く腕も--肉も骨も、全て燃え尽きて灰になる。
以前なら、受け入れられていた自分の結末が、どうしても直視できない。
このひとときが最後だと、納得できない。
黒木に「諦めてくれ」と言っておきながら、結局、いちばん往生際の悪いのは、金本自身だった。
ーーもっと、生きたい。この男のそばで、共に生き続けたい。
だが、去年の晩夏から今に至るまで、芽生えて育ち続けた黒木への想いは、実を結ぶ前に無慈悲に摘み取られる運命にあった。
そのどうにもならない運命 に、金本は打ちひしがれた。
「栄也…栄也……!!」
黒木にしがみつきその名を呼びながら、金本は万力を込めて抱きしめて果てた。
…互いの熱と息づかいが、油のように重く、金本と黒木のまわりにまとわりつく。交わりで味わった痛みと嘆きと疲労で、どちらもすぐに動けなかった。
しばらくして、黒木が金本の頭を撫で、くちづけてきた。金本は目を閉じて、無気力にそれに応じた。
「--蘭洙」
黒木は、かすれた声で呼ぶ。まだ身体は、金本とつながったままだ。それでも先刻の嵐のような一刻がすぎ去って、頭はしだいにはっきりしてきていた。
金本の耳元に口を寄せ、黒木はゆっくり告げた。
「逃げろ。特攻に行くふりをして、途中で姿をくらませ。何がなんでも、生き延びるんだ」
金本は愕然として、黒木の顔をのぞき込んだ。
金本を見返す黒い瞳の奥底に、狂気じみた炎がゆらいでいた。
「中山と千葉を協力させて、お前が乗る『隼』に、積めるぎりぎりの燃料を入れさせた。ーーそれを使って故郷の朝鮮まで飛んで、そのまま戦争が終わるまで隠れて生き延びろ」
ともだちにシェアしよう!

