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第19章37

 開けっぱなしの窓の下に、金本が落とした白い花が横たわっている。時折、夜風でカーテンが揺れると、朧月が可憐な花の姿を照らし出した。  月の光は、部屋の隅までは届かない。そこに敷かれた布団の上で、金本は黒木を押し倒し、勢いのまま、またがった。普段、(ねや)で黒木に示すいたわりや優しさは、一片もなく消え失せている。荒々しく、まるで陵辱するかのように、相手の軍服を剥ぎとっていく。抜かれたベルトが床に触れ、ガシャと音を立て、その上にシャツが無造作に放り出された。  黒木は何も言わず、金本にされるがまま身をまかせた。全裸にされ、自らも裸になった金本が覆いかぶさってきた時も、肩や胸に執拗に歯で噛み跡をつけられた時も、ほとんど慣らされていない後孔に、いきり立つ肉棒を突き立てられた時も、声を押し殺し、固く目をつむって耐えた。  だが、無理やり身体を暴かれる痛みは強烈で、手足の関節は硬直し、肌に冷たい汗がにじんだ。そこに金本がのしかかってくると、たちまち熱っぽい汗が混ざり合った。  貫かれている部分が(きし)む。徐々に黒木は受け入れ始めたが、それに比例するように金本の動きが激しくなっていく。腹の奥のいちばん敏感な部分を何度も責められ、黒木の歯の間から喘ぎが漏れ始めた。  最上級の苦痛と快楽が、ないまぜになって襲いかかってくる。「やめてくれ」という懇願の言葉すら、うまく舌にのせられない。頭の中がぐちゃぐちゃで、瀕死の獣のように、間断なくうめいた。このまま、本当に責め殺されそうな気さえした。  焦点の合わない目で、黒木は己を蹂躙する相手を見上げる。  その時、金本の目元から一筋の細い流れがつたい、黒木の頬へ落ちた。  自分の目ににじむのが、汗か涙か金本にも分からなかった。  黒木の姿を目にした瞬間から、自分の中で手のつけられない激情が、怒った龍か、手負いの虎のように暴れ狂っていた。その正体を、金本は中々つかめなかった。  死への本能的な恐怖? 生への渇望? ーーしかし黒木を抱くうちに、金本はようやく悟った。  濁流のように溢れ出る感情は、未来を奪われることへの絶望だった。  黒木と一緒に笑って、泣いて、喧嘩して、支えあって、積み重ねていくはずだった時間は、金本の手から砂漠の砂のように、こぼれ落ち、失われてしまった。 「……うぅ…」  あの夜と同じだった。黒木を永久に失ったと思い絶望した、あの夜と。  違いがあるとすれば、明日、いなくなるのが金本の方だということだ。  今、黒木と重ねている手も、彼を抱く腕も--肉も骨も、全て燃え尽きて灰になる。  以前なら、受け入れられていた自分の結末が、どうしても直視できない。  このひとときが最後だと、納得できない。  黒木に「諦めてくれ」と言っておきながら、結局、いちばん往生際の悪いのは、金本自身だった。 ーーもっと、生きたい。この男のそばで、共に生き続けたい。  だが、去年の晩夏から今に至るまで、芽生えて育ち続けた黒木への想いは、実を結ぶ前に無慈悲に摘み取られる運命にあった。  そのどうにもならない運命(さだめ)に、金本は打ちひしがれた。 「栄也…栄也……!!」  黒木にしがみつきその名を呼びながら、金本は万力を込めて抱きしめて果てた。  …互いの熱と息づかいが、油のように重く、金本と黒木のまわりにまとわりつく。交わりで味わった痛みと嘆きと疲労で、どちらもすぐに動けなかった。  しばらくして、黒木が金本の頭を撫で、くちづけてきた。金本は目を閉じて、無気力にそれに応じた。 「--蘭洙」  黒木は、かすれた声で呼ぶ。まだ身体は、金本とつながったままだ。それでも先刻の嵐のような一刻がすぎ去って、頭はしだいにはっきりしてきていた。  金本の耳元に口を寄せ、黒木はゆっくり告げた。 「逃げろ。特攻に行くふりをして、途中で姿をくらませ。何がなんでも、生き延びるんだ」  金本は愕然として、黒木の顔をのぞき込んだ。  金本を見返す黒い瞳の奥底に、狂気じみた炎がゆらいでいた。 「中山と千葉を協力させて、お前が乗る『隼』に、積めるぎりぎりの燃料を入れさせた。ーーそれを使って故郷の朝鮮まで飛んで、そのまま戦争が終わるまで隠れて生き延びろ」

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