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第20章③

 今村の言葉を聞き、クリアウォーターは切り出すチャンスをつかんだと思った。 「今村さん。先ほどあなたに、金本勇の死亡時のことを尋ねたのには、実は特殊な事情があるからなんです」  相手の注意を十分に引いたところで、クリアウォーターは書類カバンに手を伸ばす。 「見ていただきたいものがあります。詳細は明かせませんが、関東地方で起こったある事件の犯人の似顔絵で………ん?」  クリアウォーターはカバンの中をのぞき込んだ。彼にとって、想定外のことが起こった。  カナモトの似顔絵がない。  どこかに紛れ込んだかと思って、急いで探すが、カバンのどこにも見当たらなかった。 「どうされました?」  不審さと一抹の心配が混じった顔を、カトウが上司に向ける。クリアウォーターは正直に答えた。 「フェルミ伍長に描いてもらった似顔絵が、ないんだ。しかも全部。韓親子に見せた後、確かにここに入れたはずなんだが…」 「カバンにない、ということですか?」 「ああ」 「…少し、時間をください。ホテルに電話して、部屋に置き忘れてないか、確認します」 「頼む。そうしてくれ」  そう言ったものの、宿泊した部屋で見つかる可能性はないと、クリアウォーターは早々に思った。午前の尋問を終え、一度ホテルに戻りはしたが、カバンの中身を出した記憶は全くなかった。  カトウが退室した後、部屋には今村とクリアウォーターだけが残った。  クリアウォーターは、日本語ができないふりをしている。今村と直接、口をきくわけにもいかず、やむなくにこやかな顔を保ったが、今村が気まずそうになるのは、どうしようもなかった。クリアウォーターは、持っていたタバコを青年にすすめたが、これも「ノー・センキュー」と断られる。  カトウが戻ってくるまでの間、クリアウォーターは仕方なく煙草をふかし、朝起きてから対敵諜報部隊(C I C)の大阪支部にたどり着くまでの経緯を思い起こした。  十五分ほどして、カトウは戻ってきた。 「遅くなりました。ホテルに確認しましたが、泊まっていた部屋にそれらしい紙片はなかったそうです。念のため、乗ってきた車の中も見ましたが、ありませんでした。あと、大阪支部の要員に聞きましたが、例の似顔絵は、まだここには回ってきていないそうです」  フェルミが似顔絵をクリアウォーターの元に提出して、まだ二日しか経過していない。大阪まで届いていなくても、おかしい話ではなかった。 「残るは、午前中に尋問に行った韓親子のところですが…」 「分かった。あとで確認しよう。ひとまず、座ってくれ」  クリアウォーターは、表面上、冷静さを保っている。しかし内心、ひどく困惑していた。  韓親子に見せたあと、似顔絵は確かに、まとめてカバンにしまった。その記憶もある。  なのに、カバンの中からそれだけが消えた。不可解としか言いようがなかった。  クリアウォーターの脳裏に、「盗難」の単語が点滅する。状況から考えると、それができた人間は一人だけ。ホテルの部屋に出入りでき、ここに来る時もカバンを部屋から持ってきたカトウだけだ。  しかしクリアウォーターは即座にその考えを捨てた。カトウはそういうことをする人間ではない。たとえ恋人とひどいケンカの真っ最中だとしても、仕事をないがしろにしたり、まして悪意を持ってダメにする真似は、絶対にしない。 --似顔絵の件は、あと回しだ。今は尋問に集中しよう。  クリアウォーターは、気持ちを切り替え、今村に向き直ると、「大変、失礼いたしました」と謝罪した。 「先ほど言った事件の犯人の似顔絵を、見ていただきたかったのですが。こちらの手違いで、今日はお見せできなくなりました」 「はあ…」 「実は、その事件の犯人が、金本勇である可能性が浮上してきているんです」 「…はあ!?」  今村は素っ頓狂な声をあげる。その直後、猛然と反論した。 「それだけは、絶対にあり得ない! 金本曹長は亡くなったんです。二年前の、六月のあの日に。…あんたらは一体、何を考えて、そんな馬鹿げたことを思いついたんだ」  怒る青年に、クリアウォーターは根気よく説明した。 「事件の犯人は朝鮮語と日本語に通じ、『金本勇』と名乗っていました。入手した経歴書に書かれた年齢は二十七歳。そして極めて身体能力の高い人間だったことが、明らかになっています。その人物像は、あなたの知る金本勇曹長と、一致するのではないのですか?」  今村が沈黙する。それによって、クリアウォーターの今の指摘が、言下に否定しきれないことを示した。 「さらに、犯人の標的となって殺されかけた人間は、過去に金本を迫害したことが、捜査の過程で判明しています」  クリアウォーターはそう言って、決定的なカードを切った。 「今村さん。あなたが鹿児島県の知覧飛行場にいた時、福岡の第六航空軍司令部に、小脇順右少佐と河内作治大佐という二人の佐官がいましたが、この二人について耳にしたことはありませんか?」

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