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第20章⑪
クリアウォーターにとって、この日、唯一、喜ばしいことがあったとすれば、それはカトウが一緒に夕食の席についてくれたことだろう。いつもよりよそよそしく、最低限しか口をきいてくれなかったが、それでも関係修復に向けて一歩前進した--そう、考えておきたかった。
そして食事をとっている間に、クリアウォーターのところに待っていた報せが来た。
「甲本貴助の件について、東京憲兵隊の人間から確認が取れました」
電話をかけてきたニイガタは、手短に説明した。
「少佐の見立て通りでした。憲兵隊長だった間馬という元大佐によれば、一九三八年当時、甲本は東京憲兵隊に勤めていました。皇太子爆殺未遂事件が起こった直後、金本勇を東京まで連行し、さらに金本の尋問も行ったそうです」
「分かった。ご苦労だった」
クリアウォーターは部下をねぎらい、電話を切った。
宿泊している部屋に戻った後、クリアウォーターはこれまでに判明したことを、まとめ始めた。その少し前に、カトウは自ら申し出て、フロントに戻っている。ホテルの従業員たちから今日一日、不審者を目撃しなかったか、聞き込みを行うためだ。それは、自分のおかした失態を少しでもつぐないたいがための行動だった。クリアウォーターは、すぐに許可した。カトウに経験を積ませるいい機会であるし、何よりコソ泥の調査に、時間をさく余裕がなかった。
クリアウォーターは韓父子の証言と、それから今村の尋問内容を見返し、明日、対敵諜報部隊 で行うことを書き出していく。その中には、今村に写真の提出を求めることも含まれていた。
今村に最後に質問した時、クリアウォーターは彼がウソをついたことに気づいた。しかし、その場で問いつめることは避けた。一晩、時間を置き、うまく話を切り出さなければ、今村の協力は得られないと、考えたからだ。
クリアウォーターは、「はなどり隊」の搭乗員たちのリストを眺める。幸いカナモトの似顔絵は、明日中には大阪まで届くことが分かった。似顔絵を今村に見せれば、何かしらの反応が得られる。
新しいレポート用紙を取り出し、クリアウォーターは頭の中で考えていた事柄を書きつけた。
--甲本貴助は過去に金本勇に会い、彼の顔を知っていた。だからこそ、甲本は今際 のきわに伝えようとした……--。
--……私の仮説が正しければ、この連続殺人には復讐以上の意味が込められている。それはなんだ? それさえ分かれば、カナモトが次に狙う標的も、おのずと明らかになる……。
--金本勇。朝鮮人。金光洙の弟。日本陸軍の戦闘機パイロット。はなどり隊の搭乗員。特攻隊員。小脇順右の犠牲者……--
--特攻くずれ。蓮田周作。東智……--
--…カナモトは単独犯か?
もし協力者を求めるのなら。かつての仲間を頼るのではないか? ……--
そこまで記した時、クリアウォーターの背後で電話が鳴り出した。
「--ええ、間違いありません。お部屋までは覚えていませんが、お客さまがお泊りになられていた七階で、鍵のかかった客室のひとつを開けたのは確かです」
清掃係だという若い娘は、極度に緊張した顔で言った。
「電球を交換するためと、言われたので。知らない顔だったけど、従業員が作業の時に着るツナギを着ていたので、特におかしいとも思わず、ドアを開けてしまったんです」
「それは、何時ごろのことでしたか?」
カトウの質問に、娘は清掃中で十時前後だったと答える。
「その後は? 男が電球を取り替えた後、部屋から出るのを見ましたか?」
「……すみません。三十分くらいして部屋をのぞいてみたら、誰もいなくて。てっきり用事が済んだ後、声をかけずに下に降りたんだと思って、そのまま鍵をかけました」
娘は、泣きそうな顔を伏せた。隣にいるホテルのマネージャーは、厳しい面持ちを清掃係に向ける。心の中ではすでに、彼女を解雇する算段をつけているようだ。
カトウは、娘のことが気の毒になった。解雇が阻止できるかは分からないが、とにかくできる努力はしてみた。
「ーー不審者の侵入を許したのは、何もあなただけの非ではないですよ」
娘をなぐさめ、それからマネージャーに向き直る。
「このホテルには正面口以外に、従業員や荷物の搬送用の裏口がありますよね。そこに、警備員は置いていますか?」
「…巡回はしています」
「つまり常時、張りついている訳ではない、ということですね」
カトウの指摘に、マネージャーは渋々うなずく。カトウはしかめ面を作って、忠告した。
「客や従業員以外の人間が、割と簡単に入って来られるのなら、それは警備が甘いということです。今回、金目のものは盗まれなかったが、今後のことを考えるなら、出入り口のチェックをもっと厳しくして、巡回の頻度も増やした方が賢明です」
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