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第20章⑮
爆発の音と光は、外で警戒にあたるクリアウォーターたちの耳にも届いた。多くの者が反射的にその場にうずくまり、それから廃工場を呆然と見つめた。数秒前まで夜に溶け込んでいた建物は、内部から白い光を放ち、それは間も無くオレンジ色の炎に変わった。
クラッシックの曲ーーマーラーの「巨人」の調 べに、かすかに人間の叫び声が混じる。光と音が織りなす狂騒劇に気を取られ、気づいた者はいなかった。警戒にあたっていた人間の一人が、燃えはじめた工場に向かって、猛然と走り出したことに。
「…私は、大バカだ…!!」
クリアウォーターは愚かしい自分に、呪詛の言葉を吐いた。
思い至れなかった。気づけなかった。
カナモトがただ逃げ出すだけでなく、置き土産を残して、追っ手たちを殺傷するかもしれないーーその可能性を、クリアウォーターは導き出せなかった。
工場の入り口付近で、クリアウォーターはハンカチで口を覆った。異臭を含んだ熱風が吹きつけてくる。廃工場の内部は早くも煙が充満しつつあった。
その中へ、クリアウォーターは躊躇なく飛び込んだ。
「--カトウ!! どこだ!!!」
煙で、視界は数メートルもない。「巨人」の狂奔的な楽曲はまだ続いていて、それが捜索の困難さに拍車をかける。
クリアウォーターは、とにかく出口と反対方向に足をすすめた。一歩、入口から遠ざかるごとに、煙と熱と異臭が濃度を増していく。火元へ近づいている証拠だ。
--…最初に見えた白い光。あれはおそらく、マグネシウムが燃えた光だ。
そう考えて、ある兵器の名前がよぎる。M50テルミット・マグネシウム焼夷弾。それを百本以上つめ込んだM17集束焼夷弾は、大戦末期に日本各地に大量に投下され、甚大な被害をもたらした。
アメリカが日本に贈りつけた死の花束を、カナモトは嘲笑 いながら、悪意のリボンで飾り立てて送り返してきたのだ。
クリアウォーターがさらに進んだ時、煙の向こうに動くものを認めた。それはうめき声を発しながら、両腕を突き出して歩く人間だった。火のついた上着を破り捨てたのか。剥き出しになった上半身は、赤く腫れ上がり、髪は熱で縮 れ、煤だらけの真っ黒な顔には、涙が流れた跡がついている。先刻、工場に突入した対敵諜報部隊 の要員の一人だった。
クリアウォーターが呼び止めると、彼は一瞬ビクリとし、それから、
「いやだ……もう、いやだ……」とうわ言のように呟いた。
「目が見えない。痛い。身体に火がついた。痛い…痛いよ……」
クリアウォーターの中で、大きな葛藤が生まれた。負傷した味方を放置しておけない。しかし彼を運び出している間に、状況は間違いなく悪化する。そうなったら、もっとも大切な存在を永久に失うかもしれなかった。
次の瞬間、クリアウォーターの悩みは、意味を無くした。
ガアンという銃声が、歪んだシンバルの音ように、響きわたる。
すぐかたわらに立つ負傷者の目が、まるで熟したホウセンカの種のように、血飛沫と共に飛び散った。
…階段に腰を下ろすカナモトは、小銃をかまえたまま舌打ちした。
充満する煙の中に、一瞬、朱髪を見出したが、すぐに見失ってしまった。とっさに見えた人影を撃ったものの、それは別の人間だった。やむを得ない。気は進まないが、もっと近づかなければならないようだ。煙にまかれて窒息する危険はあったが、朱髪の男を葬り去る千載一遇の機会を、易々 と捨てる気はなかった。
限られた時間であったが、仕掛けた罠の出来 は上々だった。
この廃工場の存在は、武器をカナモトに売った密売人から聞き出した。米軍が空襲時に落としていった爆弾が、不発弾となってそのまま残されていることも。カナモトの手元の金は尽きかけていたが、不発弾でアメリカ人を吹き飛ばすつもりだと言うと、密売人は見返りなしで場所を教えてくれた。密売人は、幼い子ども二人を大阪空襲で失っていた。ささやかな復讐を、カナモトに託 したのである。
廃工場以外にも、不発弾が残る場所はいくつかあったが、いずれも二百五十キロや一トン爆弾であった。威力を考えると、爆発と同時に自分も吹っ飛びかねない。最終的にカナモトが選んだのが、焼夷弾のあるこの廃工場だった。
カナモトは、手元に用意していたバケツの水をかぶり、階段を降りる。そのまま一番下の段まで来た時、熱風がまともに襲いかかってきた。
カナモトは思わず、顔を腕で覆い、身をかがめた。
それはほんのコンマ数秒という、僅差の出来事だった。
カナモトの上半身があった後ろの壁に、ビシビシっと銃弾がめり込んだ。
「ーーーー!!」
カナモトは飛びすさり、弾が飛んできた方へ小銃を向ける。煙がジャマで、撃ってきた相手の姿が、にわかに視認できない。だが、それは相手にとっても同じはずだ。
カナモトは身をかがめた姿勢のまま、煙が薄まる瞬間を待った。
間も無く、その時は訪れた。
襲撃者の姿をとらえ、カナモトは少し驚いた。
相手は階段から、二十メートル近く離れた地べたに腹ばいになっていた。自分の意志でそうしているわけではない。人間の方が吹き飛ばされたのか、それとも機械の残骸が爆風で倒壊したのか。襲撃者の身体は、半分以上が製造機の下敷きになっていた。頭と片腕だけが、かろうじて突き出ている。その体勢で、短機関銃の引き金を引いていたのだ。
照準を定めることはおろか、銃を動かすことすらままならない状態で、カナモトをあと一歩のところまで追いつめた。
こちらを見つめる悔しそうな顔に、カナモトは見覚えがあった。
「…惜しかったな、カトウ軍曹」
カナモトは動けぬ相手に、小銃の狙いを定めた。一方的な虐殺はむしろ、敵への慈悲心からくるものだった。煙にまかれてジリジリ焼け死ぬより、銃弾で頭を吹っ飛ばされた方が苦しみは短くてすむ。
ガン、ガンという銃声が、連続して上がった。
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