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第20章⑰
炎の色が白から黒に変わりつつある。視野を完全に失う寸前、クリアウォーターは地面に伸びた腕と握られたトミー・ガンのシルエットに気づいた。
カトウは煙の向こうから現れたのがクリアウォーターだと知って、一瞬、泣きそうな表情を浮かべた。
「…すみません」
「謝るのは私の方だ」
クリアウォーターは、カトウのそばにひざまずいた。
「君や、他の者にたくさん謝らないといけない。だが、すべてはここを出てからだ。今、このにくたらしい機械の残骸を動かして、すき間をつくる。自力で、はい出せそうかい?」
「やってみます」
「いい子だ 」
勇気づけるように、クリアウォーターはカトウの頭を撫でる。それから、壊れた製造機を両手でつかんだ。機械が何キロあるか、また自分の学生時代の重量上げの最高記録が何キロだったかは考えない。とにかく、満身の力を込めた。
ギッという音で、金属の塊が少し浮かぶ。骨が折れんばかりの負荷が、クリアウォーターの両腕にかかる。だが、己を叱咤し、さらに持ち上げた。
機械が二十センチほど地面から離れた時、カトウは下半身にあった圧迫感が明らかに緩んだことを感じた。すかさず、匍匐前進の要領で両腕を動かす。十秒後、ようやく身体の自由を回復した。両腕が限界に近かったクリアウォーターが手を離すと、製造機は重々しい音を立てて割れた床の上にもどった。
カトウは咳きこみながら、自分の足の具合を確認した。多少、痛むが折れてはいないようだ。しかし、立ちあがろうとすると、ふらついて、うまく力が入らなかった。その様子を見たクリアウォーターが、カトウの腰のあたりを支える。
赤毛の少佐はそのまま出口の方向に歩き出そうとして、事態の悪化に気づいた。すでに出口とクリアウォーターたちとの間には、火炎の分厚いカーテンがはためいて、生ある者の侵入を拒んでいた。
クリアウォーターの額に、汗がにじんだ。先ほどのサイレンから察するに、消防隊は到着しつつある。彼らが火を消すのを、ここで待つか? …否。それを待つ間に、クリアウォーターもカトウも蒸し焼きにされてしまう。
クリアウォーターは落ち着いて、煙が流れていく方向を見定めた。そして、ひと筋の道を見つけた。
「…あそこに、窓がある」
ガラスが外れた窓。今の状況では、あれが唯一の脱出口だ。
クリアウォーターがそちらへ向かおうとした時、かたわらで支えていた男がぐにゃりと身体を折った。
クリアウォーターの顔から、血の気がひいた。爆発の衝撃で被った影響か、それとも身動きが取れない間に、煙を吸った結果か。
カトウが気を失っていた。クリアウォーターが呼びかけるが、返事はない。
「シット !」
もう一刻の猶予もない。クリアウォーターは、カトウの身体をかかえるように抱き上げた。
窓までのわずかな距離が、その何百倍にも感じられた。煙が目にしみる。皮膚がジリジリ熱せられ、口の中は痛いくらいにカラカラだ。それでもクリアウォーターは進み、ついに出口の真下にたどり着いた。
「…意地悪な設計だな、これは」
窓はクリアウォーターの頭と、ほぼ同じ高さにあった。赤毛の少佐は一度だけ、カトウの顔をのぞき込む。
--天にまします、我らが父よ。どうか、彼をお助けください。せめて頭ではなく、足の方から着地しますように。
短い祈りを唱え、クリアウォーターは意を決して、カトウを持ち上げた。細いが、筋肉のついた身体を、窓の外へ解き放つ。
その姿が消えると同時に、クリアウォーターの背後から黒煙が激流のように襲いかかってきた。あまりの熱さに、クリアウォーターはよろめく。むせて思わず、一酸化炭素を大量に含んだ煙を吸ってしまった。
まずい、と思った時には、すでに手遅れだった。
四肢から力が抜け、その場に倒れ込む。火災の時、煙に巻かれた人間がどういう末路を辿るか、クリアウォーターは知っており、今まさに、我が身に起こりつつあることを悟った。
それは人が海で溺死する寸前の状態に、よく似ていた。自分ではもがいているつもりだが、指一本すら動かせない。苦痛をろくに味わう時間もなく、意識が落ちていく。
--立ち上がらないと……ここから逃げ…て………。
抵抗するクリアウォーターの頭に、以前、フェルミに言われた言葉が響いた。
--ジョージ・アキラ・カトウを悲しませちゃだめだよ、ダン--
フェルミと交わした約束を、守れないかもしれない。
そう思った直後、クリアウォーターの世界が真っ暗になった。
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