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第21章②

 …松岡と別れ、三角兵舎に戻ると、他の特攻隊員たちも起き始めていた。  今日、出撃するのは金本と松岡を含めて五人だ。最年長が金本で、一番下は十八歳の森部という伍長だった。金本は、彼らを率いて沖縄近海まで飛び、米軍の艦船を見つけて突入しなければならない。それが、課せられた任務だ。  金本が身支度を終える頃、昨日、名前を知ったばかりの森部伍長が近づいてきて、金本に敬礼した。 「金本曹長どの。本日はなにとぞ、よろしくお願い申し上げます!」 「…ああ」 「自分は米艦船を轟沈(ごうちん)させる意気だけは、十二分に持っております。しかし、いかんせん未熟のため、ぶつけられる絶対の自信がありません。特攻を成功させるための訓示を、いただけないでしょうか?」  金本は、森部の顔を見つめ返した。目が腫れぼったいのは、夜中に声を殺して泣いていたからだろう。にもかかわらず、米軍に体当たりする覚悟と、なんとしてもそれを成功させようという気概が全身に満ちていた。  金本は思わず、この場から逃げ出したくなった。  なさけない逃走を実行するかわりに、肩を落として告げた。 「…どんな場合も、俺の言うことに従うように」  そして、と続ける声がわずかに震える。しかし、森部は少しも気づかなかった。 「もし俺に何かあった場合は、松岡弘軍曹について行くんだ」  出撃の準備が着々と進められていく。金本は一度、兵舎を出て、滑走路の近くまで歩いて行った。掩体壕から出された『隼』が、早くも滑走路脇に並べられ、最終点検が行われていた。  群がる整備兵たちの中に、金本は千葉の姿を認めた。一機の『隼』にはりついて、工具をわたしたり、操縦席をのぞき込んでいる。それは、金本が搭乗する予定の機体だった。  黒木は燃料を満載させたと言っていた。それが発覚しないよう、千葉は手伝うフリをして、不審なところを--たとえば燃料計の針の位置などを--「ただの不具合」と言って、ごまかしているのだろう。  金本を生きながらえさせるために。  金本はそれ以上、近づかず、千葉に声をかけることもなく引き返した。  歩きながら、頭上をふりあおぐ。予期した通りの青空が、そこに広がっていた。  あの空は、南で沖縄へと続いている。そして、北で故郷の朝鮮へと連なっている。  北への道は、新たな苦難の始まりだ。仮に、黒木の計画通りに戻れたとして、いつ終わるとも知れぬ逃亡を続けなければならない。自分が捕まれば、すべてがおしまいだ。家族も、世話になった者たちも、そして愛した男も咎を受ける。  それでも、進まなければと、金本は自分に言い聞かせた。南への道を取れば、その先に待っているのは確実な死だけだ…ーー。  金本は足をとめた。 ーーいったい、どちらに進むのが正しいのだろう?   残念ながら、青空に道標は出ていなかった。  正午前。金本たちのところへ当番兵が現れ、滑走路脇に設けられた待機所へ向かうよう告げた。いよいよ、出発が近づいてきた。松岡たちと連れ立っていくと、そこに最後の食事が用意されていた。せめてもの(はなむけ)だろう。大きな魚の煮付けや、鶏の唐揚げ、それに銀シャリが用意されていた。搭乗員の食事は他の兵隊に比べて、よほど質が良かったが、それでも近頃ではめったにお目にかからないご馳走だった。 「こいつは、立派だ」と誰かが言ったが、声に張りがなかった。座ったものの、五人とも箸が進まない。金本も食事を早々に切り上げ、他の特攻兵から少し離れたところで、タバコを喫った。  その時、ぶかぶかのツナギを着た整備兵が、こちらに歩いて来るのが見えた。 「点検が完了しました。五機の『隼』の状態は、すべて良好です」  中山が金本の前に立ち、これまで仕えてきた曹長を見上げて言った。 「…きっと、うまくいきます。そう、信じていますから」  金本以外の四人は、小柄な整備兵が、特攻成功を祈願していると受け取っただろう。中山の言葉の裏に込められた切実な願いを知っているのは、金本だけだった。  「これを」と、中山は金本に柳の葉で作った新しい輪を差し出した。帰還を願うお守りを、金本は何も言わずに受け取る。  中山は、涙のたまった目をぬぐい、金本にだけ聞こえるくらいの声で言った。 「またお会いできる日を、待っています」

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