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第21章⑥

 グラハムの心配は、結果的には杞憂であった。  金本を含む五機の特攻機は機銃を下ろしており、米軍機に対抗する手段は何ひとつ持ち合わせていない。いわば「動く的」でしかなかった。  グラハムたちの編隊が接近してくる中、金本と松岡はいち早く行動にうつった。操縦席に備えつけられた装置を引き、胴体下に吊り下げてきた爆弾を躊躇なく海へ投下する。米軍の戦闘機を相手どって逃げ回るのに、二百五十キロの重量は荷物にしかならない。  切り離された二つの爆弾は、味方機にも敵機にも当たることなく、海面に衝突して、激しい水柱を上げた。その時、直上では、P51たちが金本たちを追い回し始めていた。  金本たち特攻機は、この場にとどまっていても戦力にならない。逆に、直掩の黒木たちの負担になるだけだ。一秒でも早く離脱するのが、誰にとっても一番、生存率を上げるやり方だ。  ところが、特攻機隊の中で、そのように冷静に判断できたのは、金本と松岡だけだった。  残る三機は、初めて敵機を目にして、完全に思考が停止してしまったようだ。腹に抱えた爆弾を捨てることも忘れ、入り乱れる敵味方の中を、ふらふらと飛び続けている。その姿は、あたかも母親からはぐれた迷子のアシカのようだ。じきに、食われてしまう。  金本と松岡は同じ行動に出た。事前に打ち合わせていたわけでもないのに、それぞれが、P51の攻撃をしのぎながら、はぐれて飛ぶ『隼』たちへの接近を試みた。  だが、近づくこと自体が、容易ではなかった。  攻撃手段を持たない金本は、とにかく回避に徹した。背後にP51が迫るたびに、急旋回や急上昇で振り切る。旧式の隼は、飛燕ほどの頑強さはない。機体は耐えられる以上の負荷に何度もさらされ、そのたびに空中分解を起こす一歩手前の軋みを上げた。  無理を重ねた末、金本は、何とか一機の特攻機にたどり着きかけた。  しかし、あと一歩というところで間に合わなかった。  背後についたP51が、爆弾を抱えたままの隼の翼を狙って、12.7ミリ機銃を浴びせた。何発もの弾が命中して、翼から炎が上がる。そのまま、きりもみ状態で落下しはじめた。  操縦席の搭乗員の姿が、一瞬、金本の目に入る。出撃前に言葉を交わした森部伍長だった。何としても特攻を成功させる覚悟でいた若者は、彼が思い描いていたであろう最後と、まったく異なる死を遂げた。未熟な技量で、逃げ回ることすら満足にできず、撃墜された。  機体は落ちながら、全身が炎に包まれた状態で海に衝突した。  二百五十キロ爆弾が爆発し、巨大な水柱をつくる。それが消え去った後、海面に残ったのは、わずかな機体の破片と油膜だけだった。  金本には、森部の死を悼む余力はなかった。P51たちが、次の狙いを金本に定めて追ってくる。逃げる間に、視界に松岡の操縦する『隼』の姿が映った。  「はなどり隊」で元僚機だった青年は、金本より運に恵まれていた。特攻機の一機を連れ出すことに成功し、組んで飛んでいる。だが、敵味方が入り乱れる空域から、松岡たちはなかなか、離れようとしない。まるで、誰かと合流する機会をうかがっているかのようだ。 「ーー俺にかまうな!」  金本は操縦席で、思わず叫んだ。 「離脱しろ!」  無線機が使えない状況で、金本の声が届く訳もない。けれども、この時に限って祈りが相手に通じたようだ。松岡ともう一機の隼は、P51に目をつけられるより先に、機首を転じると、そのまま針路を北にとって、全速力で遠ざかっていった。  金本が安堵できたのは、ほんの一瞬だけだった。  すぐ近くで、一機の戦闘機が火柱と黒煙を上げ、落ちていく光景が飛びこんでくる。  煙で尾翼の機体番号は読み取れなかったが、明らかに味方の「キ100」である。  そして、撃墜したらしいP51の姿を目にした金本は、背中に悪寒が走った。  機首に、黒衣をまとった骸骨の姿が描かれている。それは、金本が知っている機体だった。  四月、東京上空で「はなどり隊」と会敵し、隊員の笠倉孝曹長を追い込んで撃墜したとされる、あのP51であった。

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