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第21章⑦
自機に描かせた骸骨神父 と同じくらいに象徴的なマークを、グラハムはある敵機に見出した。赤白の花に、黄色い月。一瞬、己の目を疑う。機体はトニー ではない。それでも少しの間、動きを追うだけでグラハムには十分だった。
間違いない。あの「トチ狂ったトニー 」のパイロットだ。
操縦席で、グラハムは不敵な笑みを浮かべた。街で一度、見かけたきり、会う機会がなかった極上の美人に、思いがけない場所で巡り合った。それに近い興奮を覚えた。
前回は直接、戦うチャンスに恵まれなかった。しかし、今回は違う。アメリカ陸海軍の間で悪名高き日本のパイロットを、グラハムは逃す気はなかった。
撃ち落とされたのは、はなどり隊の竹内だった。
金本からは煙で見えなかったが、黒木のいた位置からは目にすることができた。黒木は唇を噛んだ。戦況は、圧倒的に不利だった。仮に敵味方の搭乗員の練度が等しかったところで、向こうの戦闘機の方が、性能も火力もまさり、何より数が多い。
そして、とどめは指揮官だ。黒木も骸骨を描いたP51が、四月にB29に随伴して、初めて東京の空に現れた集団の親玉だと、気づいていた。
何度目か、黒木は戦場となった空を見渡した。特攻機の内、二機は逃げた。だが、一機は落とされ、残る二機はまだ逃げられずに、P51たちに追い回されている。飛び方からその内の一機が、金本の『隼』だと悟って、黒木は息がとまった。
--…あのバカ! とっとと、自分だけ逃げればよかったものを!
金本は技量の劣る特攻機を逃すために、まだとどまっているらしい。だが、その決断は実を結ばずに終わった。
爆弾を抱えたままの『隼』は、一機のP51の射程圏内に入り、機銃の掃射を浴びた。12.7ミリ弾の何発かが二百五十キロ爆弾に命中し、着火して大きな火球が生じる。
もっとも、爆発に伴う轟音と衝撃波は、敵にとっても想定外だったようだ。『隼』を撃墜したP51が爆風にあおられて、木の葉のように舞い上がる。パイロットは立て直したが、その背後に「らいちょう隊」の蓮田が迫り、わずか数秒の内に、相手を撃ち落とした。
これで残る特攻機は、金本だけになった。
〈金本曹長を、ここから脱出させる!〉
黒木は無線でそれだけ言い、混戦の中、金本の『隼』へ向かおうとする。僚機の今村が、それに従う。しかし、行手に骸骨を描いたP51と彼に従う仲間たちが立ちふさがった。
これ見よがしに、黒木の目の前を飛び、それから回り込んで背後を取ろうと接近してくる。統制の取れた無駄のない飛び方は、こんな状況でなければ賞賛していたかもしれない。
死の舞踏を申し込んできた紳士たちに、黒木は氷さながらのつれなさで応じた。
笠倉にならって、全力の逃走と回避で報いてやったのである。
…金本はいまだP51たちの標的となっていた。振り切っても、振り切っても、新たな敵機がついて回り、さらに囲い込むように進路を邪魔してくる。どうあっても逃さないという鉄の意志が伝わってくる。
そんな中、黒木と今村が金本のそばに近づけたのは、僥倖のなせるわざだった。
二機の『キ100』が、金本の前方をふさいでいたP51を蹴散らす。
道が開けた。一瞬、金本はそばを飛ぶ黒木を振り返る。
-- 行け!! --
口の形で、黒木がそう叫んだのがわかった。直後、その顔に影が落ちる。
上方から、別のP51たちが急降下してくる。先頭を飛ぶ機体に、金本は骸骨を見た気がしたが、確信はない。確かめる余裕もなく、黒木たちと同じく、回避行動をとった。
三機がいた空間を、まるで豪雨のように12.7ミリ機銃の弾幕が切り裂いた。わずかにタイミングが遅れたため、襲撃に費やされた何百発もの弾丸はそのほとんどが無為に海中へ消えた。
たった一発を除いて。
その瞬間、金本は背後から見えない鉄棒で右腕を強打されたような衝撃を覚えた。計器や前方のガラスに、バッと何かが噴きかかる。最初、頭をよぎったのは、油圧系統が損傷を受けて、油が飛び散ったという事態だった。
しかし、汚れは赤黒く、なじみのある鉄臭い匂いがした。
「…………あ」
右腕に熱さを覚える。
金本が目を向けると、肘のあたりから下が根こそぎ吹き飛んでいた。飛行手袋をつけたまま千切れ飛んだ右手は、ずだ袋のように床に転がっていた。
そんな状況にも関わらず、金本は身についた習性で後ろを振り向いた。
P51が、まだ食らいつこうとしている。金本は、無傷の左手で操縦桿を操り、横へ逸れて逃げにかかる。
-- …撃たれた。右手がなくなった --
自分でも驚くくらい冷静に、金本は負傷を受け止めた。あるいは極端なショックが、逆に脳の興奮を冷ましたのかもしれない。だが、ほどなく失血が、肉体に影響を及ぼした。
まるで何日も眠っていないかのように、全身が重くなる。息があらくなり始める。
そして狭まる視界の中で、考えつく限りの最悪の状況が展開しつつあった。
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