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第21章⑨

 …蓮田が察した通り。この苦境をわずかでも切り抜ける可能性があるとすれば、P51たちを率いる「ドクロ野郎」を撃ち落とすしかないと、黒木は考えた。  その発想は、アメリカ兵らが黒木へ与えた評価--「トチ狂っている」以外の何ものでもなかった。しかし、P51たちの親玉は、どうやら黒木を撃墜することに固執している。その執着心に、黒木はつけ入るスキを見出した。敵がつきまとって離れないというのなら、出方次第で、こちらから機銃を撃ち込む好機は必ずおとずれる。  かくして、それぞれの飛行隊の統率者が、敵方の指揮官を狙って格闘戦を演じるという滅多にない場面が展開した。  海面すれすれの高さから、一転して上昇する間に、黒木は無線で蓮田の声を聞いた。  かけつけた黒木は、最初に蓮田の背後にいた敵たちに12.7ミリ機銃の一連射を浴びせた。墜とすことはできなかったが、P51たちは驚いて散り散りになった。ほんのわずかな間だが、これで背後の心配は無くなった。  蓮田を臨時の僚機として、黒木はグラハムが率いる四機編隊に食らいついた。同時に、戦闘が繰り広げられている空域に目を走らせる。 --俺が敵なら、どう飛ぶ?  一秒で予測し、黒木は足の方向舵を踏みかえた。読みは当たった。グラハムたちが旋回した先へ、黒木のキ100が矢のように迫る。  最後尾のP51との距離が、五十メートルを切った瞬間、黒木は12.7ミリ機銃を連射した。弾丸が命中し、P51の左翼から炎が噴き出す。被弾した機体は、そのまま滑落するように編隊から離脱していった。  直後、黒木の右前方を飛んでいた蓮田が、スロットルを全開にした。グラハムを援護するように飛ぶP51たちに並び、これを追い越す勢いで前へ出る。蓮田は撃たれる危険を承知で、骸骨の描かれた機体を狙う。そのまま、一気にカタをつけようとした。  だが、相打ち覚悟の切り込みを目にし、グラハムの部下が逆上した。 「きったねえ手を、うちの隊長に伸ばすんじゃない!! この黄色猿が!!」  一機のP51があろうことか、蓮田のキ100に翼をぶつけるように、横滑りしてきた。これには、さすがの蓮田もたまらない。衝突を避けるために、とっさに高度を落とさざるを得なかった。  この一幕で、蓮田のキ100とP51が、からみ合うように低空へ消えた。  短いが激烈な応酬のさなか、グラハムは背後を振り返った。一機が落とされ、一機は脱落し、従っているのは僚機の一機のみ。  そして百メートルほどの距離を置いて、「トチ狂ったトニー(マッドネス・トニー)」の姿が追いすがってきた。  その光景を目にし、グラハムは酸素マスクの下で微笑んだ。しのぎを削り、命をかけて戦っているこの瞬間からしか得られぬ歓喜が、味方を失った怒りを圧倒する。  望むらくは、ピアノ線の上を歩むような、この危険なひと時が限りなく続けと願う。  しかし、終わりが近いことをグラハムは予見した。  飛び回るうちに、グラハムらと黒木は、戦闘が繰り広げられる空域から北へ外れつつあった。そのようにグラハムが誘導した。すぐれたチェスのプレイヤーが、敵手の気づかないうちに罠を張りめぐらせ、縦横無尽に動いていたルークを絡めとるように。  単機となった時点で、黒木の敗北は決定していた。 「--チェックメイト」  グラハムがつぶやく。その目に、黒木の死角となった後下方から上昇してくるP51たちの姿が映った。  黒木の危機を救ったのは、この時、まだかろうじて生き残っていた林原だった。 〈黒木隊長!! 下、狙われてます!!〉  部下の警告で、黒木はとっさに攻撃を中止して回避行動を取った。右へ滑ると同時に、風防のすぐ左側を閃光弾が軌跡を描いて飛び去っていく。  かろうじて黒木は命拾いした。けれども、それも数秒の猶予に過ぎなかった。

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