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第22章④

 白い粉塵が立ちのぼる地面をカトウは這い進む。二十キロ近くある背嚢が、肩に食い込む。救急キットや止血帯、レーションはすべて、決められた場所に収めており、数少ない私物は、一番、底に入れてあった。  以前、ある機会にカトウはギルに伝えていた。 「もし、俺がくたばったら。認識票(ドッグタグ)を取って、その辺に適当に埋めてください。ただ、荷物の中に写真があるんで、それだけ一緒に埋めてもらえますか?」  聞いたギルはただでさえ人を遠ざける面相を、いっそう険しくした。子どもが見たら、泣くより先に失神しそうだ。  大尉の返事は、「くだらんことを考えるな」だった。その言葉をカトウは「イエス」だと受け取った。  数メートル前進した時、カトウのすぐ近くをライフルの銃弾がかすめた。カトウは伏せた姿勢のまま、弾の飛んできた方向に銃口を向けた。  しかし、狙いを定めようとした時、土塁からのぞいた顔を見て、血の気が引いた。  それは明らかに、東洋人の顔だった。  カナモト・イサミ。  あの殺人鬼がドイツ兵の軍服を着て、地面に伏せるカトウを狙っていた。  カトウは一切躊躇わず、引き金を引いた。だが、どういうわけか弾が出ない。 --弾詰まりを起こした…!  動けず、反撃もできないカトウを、カナモトが悠々と狙う。  相手の指が動いた瞬間、カトウは「おしまいだ」と観念した。  ライフルの射撃音が、大理石の岩肌に反射して響きわたった。鉄カブトを弾丸が貫通するカアンという音が、いやにはっきり聞こえた。  カトウは目を閉じた。だが、予期した痛みは、いつまで経っても襲ってこない。血も、頭蓋も、脳みそも、飛び散った様子はない。  緊張に耐えきれず、カトウはまぶたを開けた。  あたりは暗くなっていた。朝だったはずなのに、月が出ている。自分が伏せていた岩盤も、湿気た土壌に変わっていた。  鬱蒼とした針葉樹の森に、カトウは立っていた。ギルも、味方の日系二世たちも、あれほどいたドイツ兵たちも、跡形もなく消え失せている。  その代わりに、すぐそばに馴染みのある懐かしい気配を感じた。  日系二世たちに「ノッポ(トール)」と呼ばれていた長身の青年が、カトウの後ろにたたずんでいた。 「トオル…!」  カトウのかつての戦友。ハリー・トオル・ミナモリが、声に反応してカトウの方を振り返る。  カトウは気づきたくなかったが、気づいてしまった。ミナモリの側頭部は、貫通した銃弾によって潰れ、外套は血で汚れていた。  ミナモリが自分の隣から永久に去ってしまった日のことがまざまざとよみがえり、カトウの目に涙があふれた。ミナモリの腕を、カトウはつかもうとした。だが、ミナモリはその機会を与えなかった。  カトウを見つめ、ミナモリは潰れた頭をゆっくり振った。 「一緒にはいられない。すまない」 「俺を迎えに来たんじゃないのか? なあ……」  カトウは声を詰まらせた。 「頼むよ。俺も連れて行ってくれ」 「だめだ」  ミナモリは穏やかに、きっぱりと拒絶した。 「アキラ。お前はもう新しい道を見つけたんだ。その道をしっかり歩いて行かなきゃいけない。道を見失って、こんな場所に引き返してきたらだめだ」 「…わけが分かんねえよ」 「いいや。本当は分かってるはずだ」  ミナモリはかがみ込み、足元から小さな木製の箱を拾い上げる。カトウはそれに、見覚えがあった。 「大丈夫だ」  ミナモリは小箱をカトウに差し出した。 「お前は、見つけた道を進んでいける。たとえ途中で、困難に遭っても。どうか、その道を歩き続けてくれ」  ミナモリが、箱の蓋を開ける。砂漠に流れる一筋の清流のような、澄んだ旋律が流れ出す。 ーーパッヘルベルのカノン。  教えてもらった曲名が浮かぶと同時に、カトウの世界が回転した。

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