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第22章⑤
…最初に、陰鬱な色に塗られた天井が見えた。消毒液の匂いが既視感をさらに強める。それから、身体を動かす時に感じる痛みも。
病院のベッドに、カトウは横たわっていた。
制服ではなく、病院着に着替えさせられている。
前回、入院した時は、出血多量と傷口からの感染症が原因で、二度ほど死にかけた。ありがたいことに、その時と比べれば、今回はかなりマシだ。のどに風邪をひいた時のような疼痛が、身体のあちこちに筋肉痛に似た痛みがあったが、さほど苦労もせず起き上がることができた。
ただし頭の動きの方は、まだ身体に追いついていない。どうして自分が病院に担ぎ込まれたのか、カトウはすぐに思い出せなかった。
ぼうっとしていると、看護婦がやって来た。患者 が覚醒したことに気づいて、驚きの表情を浮かべる。
「つらくはないですか? 水を飲まれますか? ……いらない? わかりました。ではすぐに先生を呼んで、戻って来ますので」
足早に立ち去る看護婦を、カトウは靄 のかかった目で見送る。
それから待つまでもなく、別の人間が病室に飛び込んできた。明るい色調の赤毛と、褐色の瞳を持つ大柄な女性で、起き上がったカトウをひと目見るなり、口元を震わせた。
「大丈夫、心配いらない。あなたは軽傷だそうよ。カトウ軍曹」
彼女はカトウのそばに来て、落ち着かせるように言った。
「ここは大阪のアメリカ軍病院。昨日の夜、あなたはここに運び込まれたの。その……火災に巻き込まれて。どうしてそんなことになったのか、誰に聞いても、教えてもらえなかったんだけど」
カトウの反応は薄い。女性はすがるように、カトウの目をのぞき込んだ。
「あたしのことを覚えている? スザンナよ。スザンナ・ミシェル・クリアウォーター。少し前に荻窪で、あなたに会った。あなたの恋人、ダニエルの姉よ」
クリアウォーター。ダニエル。夢で聞いた「カノン」のオルゴールのメロディが、カトウの耳の奥によみがえる。
その途端、廃墟となった工場での出来事が、洪水のように脳にフラッシュバックした。
カナモト・イサミを捕まえられたか、カトウと一緒に突入した対敵諜報部隊 の要員たちがどうなったか、聞きたいことは山ほどあった。だが、それらを退けて出てきた第一声は、
「クリアウォーター少佐は…!?」
だった。
カトウの発した声を聞いた途端、スザンナの表情が固まった。
クリアウォーターは一つ上の階にある重傷患者を専門に扱う病棟にいて、搬入後、十時間以上が経過した現在も、治療が続けられていた。
クリアウォーターは背中と肩の広範囲に、II度熱傷の火傷を負っていた。それだけでも傷は軽くないが、より深刻だったのは、有毒な煙を吸い込んだことによる一酸化炭素中毒だった。
駆けつけた消防隊は、炎上する工場の建物のそばで、まずカトウを見つけ、そこから割れた窓をのぞき込んで、赤毛の少佐を発見した。すぐさま救命措置が行われ、病院へ搬送されたものの、意識が回復する兆候は全くなく、予断を許さぬ状態が続いていた。
本来、重傷患者のクリアウォーターは病院関係者以外、会えないはずだった。それを、ごくわずかな間、離れたところからとはいえ、カトウが目にすることができたのは、スザンナが担当医に対して強い態度で交渉してくれたからだ。
「カトウ軍曹は、弟が一番信頼している人です。少しでいいから、会わせてあげてください」
ベッドに横たわるクリアウォーターは、酸素吸入のためのマスクをつけられていた。病院着の下から、真新しい包帯がのぞいている。不自然なくらいに目を固く閉じていて、かりに近くに爆弾が落ちても、まったく目覚めないように思われた。
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