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第22章⑥

 クリアウォーターのそばに行くことは、許されなかった。手を握ることも、声をかけることもかなわず、カトウは真昼に現れた幽霊みたいにおぼつかない足取りで、スザンナと共に、もといた病室に戻された。 「--ごめんなさい」  カトウは、絞り出すような声で言った。ベッドに腰を下ろしたカトウに、横になるようスザンナはうながしたが、とてもその気にはなれなかった。 「俺がついていたのに。少佐を……ダニエルを守るのが、俺の役目のはずだったのに。本当にごめんなさい」  うなだれる哀れな男を見下ろし、スザンナは言い放った。 「謝罪の言葉なんていらない」  それからスカートを手で押さえると、カトウと目線を合わせるためにひざを折った。 「かわりに教えて。いったい、(ダン)に何があったの? 私はあの子の姉よ。機密だか、守秘義務だか知らないけど、少しくらいは知る権利があるはず。そうでしょう?」  スザンナの眼差しは、見るものの心に訴えかけるものがあった。その姿を見て、カトウはふたつの立場を意識した。アメリカ陸軍の軍人で、U機関の一員である自分と、クリアウォーターの恋人としての自分。  そしてこの時、カトウは後者であることを選んだ。もしスザンナと同じく、あずかり知らぬところでクリアウォーターが負傷したとしたら、どんな障壁が立ちふさがろうとも、その理由を知ろうとしたはずだ。 「ーー東京で起こった事件の捜査のために、少佐と俺は大阪に来たんです」  カトウはか細い声で語りだした。 「少佐は、ある殺人犯を追っていました。そいつを捕まえるために、大阪で昔の知り合いや同僚を尋問し、情報を得ようとしていました。夜になって、尋問した同僚から追っている殺人鬼が市内の廃工場にいると通報があって、そこに向かったんです。でも、それは罠だった」 「どういうこと…?」 「工場に到着した後、殺人鬼を捕まえるために、俺は他の人間と工場内に突入しました。その時、少佐は外にいたんです。でも、入ってすぐに爆発が起きて。気づくと俺は、機械の下敷きになって動けなくなっていました」  カトウはその時の光景を思い起こす。  煙と炎がうずまく中、ライフルを手にした男を見た。ひげを剃っていたが、間違いない。  カナモト・イサミは、フェルミが描いた似顔絵から抜け出てきたような姿をしていた。 「……クリアウォーター少佐が来てくれなかったら。上の重傷患者用のベッドに横たわっていたのは、俺だったはずです」  あるいは、と言いかけてカトウは口をつぐむ。  炎にまかれて、霊安室に直行していたかもしれない--クリアウォーターが深刻な容態にある今、スザンナを前にそんな不吉なことを言うのは、あまりに無神経だ。  カトウは病院着をぎゅっと握りしめた。  多くのことは、思い出せた。だが、クリアウォーターが現れて、カトウを機械の下から引きずり出した後のことが、いまだ曖昧模糊としている。それでも、発見時の状況がすべてを物語っていた。クリアウォーターはカナモトを排除し、カトウを安全な場所へ逃したところで力尽きたのだ。  そして今、生死の境をさまよっている。 --…このまま、少佐が目覚めなかったら?  その考えは、カトウの心を凍りつかせた。  クリアウォーターに対する二日間の仕打ちを、カトウは激しく後悔した。  人は、本当にあっけないくらい簡単に死ぬ。カトウは誰よりも理解しているはずだった。  覚えていないくらい大勢のドイツ兵を射殺した。  たった一発の銃弾に、愛した男(ミナモリ)の命を奪われた。 --とんだ平和ボケだ。  昨日や今日と同じような日が繰り返され、続いていくものと、いつの間にか思い込んでいた。それが何の予告もなく、断ち切られることがあると知っていながら。  クリアウォーターに許しを与えず、冷たく接し続けたことを、カトウは今になって悔いていた。

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