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第22章⑪

 天井の電球さえ破壊されたと知った中山は、懐中電灯も一緒に残していった。扉が閉まり、気配が遠ざかっていく。軍刀を置いた黒木は、手帳をためつすがめつ眺めた。  これを開いて、鉛筆で書きつけていた男の姿を思い出す。金本はそうやって戦いの経緯をつづり、見返し、反省点を探して次の空戦に備えていた。  しかし、ある時を境に、黒木が近づいていくと金本はさりげなく手帳をしまうようになった。黒木は一度ならず見せろと迫ったり、こっそり覗き見ようとしたが、結局、果たせぬまま今日を迎えた。  懐中電灯をつけ、黒木は手帳のページをめくった。一枚、一枚。鉛筆で書かれた字は、所々かすれて読みにくくなっていたが、それでも金本の息遣いを感じ取れた。  戦闘の記録。訓練の記録。また戦闘の記録。  それらが続いた後、ページを()る黒木の手が止まった。 《庭のある家に住んで、花をたくさん植えて育てる》   「………あいつ」  黒木は、その下に綴られた文を読んだ。 《トラジ(桔梗)、ネギ、菜の花。あと柿の木も植える》 《着物をしまうのは、桐の箪笥がいいらしい》 《富士山に登って、高山にしかない植物を一緒に見る》 《一緒に新潟に行って、鬱金香(チューリップ)の球根を買う》 《誕生日は十二月十九日。来年は忘れず祝う》  ………----。  金本とのたわいない会話の間に、黒木が口の端に乗せたささやかな夢や希望が、丁寧な字で記してあった。  そして隣のページに、それより大きな字で走り書きが残されていた。 《もしも生き残れたら、俺の残りの人生はお前のものだ。全部、全部、叶えてやる》  最後に、ハングルでは黒木が読めないと思ったのだろう。カタカナで書いてあった。 《サランハヌン(愛している)》  見つめる粗雑な紙の上に、透明な雫が落ちて染みを広げた。 「……うっ‥」  黒木は地上にもどってから、初めて泣いた。  とめどなく流れる涙の海の中で、もう二度と、愛した男が戻ってこないことを、黒木はゆっくりと受け入れた。

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