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第22章⑭

 一連のやりとりを見ていた男は、千代に気遣わしげな視線を向けた。けれど、かけた言葉は残酷だった。 「東さんが決めたことです」   男はため息をつく。 「…以前は、彼をうまくなだめて、導くことができる人がいたんですが」 「その方は…?」 「亡くなりました。東さんと同じ、戦闘機の搭乗員でした」 「そこまでご存じというのなら、もしかして、あなたも…」 「いいえ。俺は、ただの整備兵です」  少しためらってから、男は言った。 「俺は、千葉と言います。千葉県の『千葉』が苗字ですが、生まれは山陰の方です」  男は--千葉は、千代にだけ聞こえるほどの小声で続けた。 「一緒に飛ぶ仲間を失う苦しみは、搭乗員にしか分からないと言います。東さんはある空戦で負傷して、戦場から離脱し、その直後に組んでいた長機を失いました。そのことで、今も自分を許せていないように見えます」 「だからって…」 「戦争は終わった。でも、あなたに知ってほしいのは…終わりは俺たちにとって、誰に裁かれるでもなく、誰に打ち明けられるでもなく、自分のおかした罪や、抱えた苦しみに、一人で向き合わなければならない日々の始まりを、意味していたということです」  千葉は千代の向こう側、もっと遠くに目をやった。 「ーーは、もがき苦しんでいた俺たちに道を与えた」  千葉の言う「あの人」が、東でないのは明らかだった。千代は、直感的に悟る。その人物こそが、東や千葉がやろうとしていることの首謀者であり、今夜、ここに来るのだろう、と。 「…千葉さんは」   千代は問いかける。 「一体、何に苦しんでいるんですの?」 「いくつものことに」  千葉は悲しげな笑みを浮かべた。 「俺の実家は寺なんです。門前の小僧なんとやら、ではないですが、多少はお経を(そらん)じておりますし、六道輪廻(りくどうりんね)のことも知識として持っています。だからでしょうかね。戦時中、死と隣り合わせだった人間が大勢、俺のところに来ては尋ねたんです」  死んだら、本当に靖国(やすくに)へ行けるのか。そもそも、霊魂はあるのか。あの世はあるのか。  生まれ変わりはあるのか。自分はまた、人として生まれ変われるのか、それとも地獄へ落ちるのか--。 「俺は存在してるかどうかも分からない、極楽浄土の話をして、また必ずこの世に生まれ変われると伝えました。寺の子ですが、俺は、父や兄と違い、本当の意味で信仰心を持っていません。そんな自分が、信じてもいないを語って、助けを求めて来た人たちをだまして、死地へ向かわせました。それだけでも、十分あさましいのに--……」  千葉は爪が食い込むほどきつく、自分の手を握る。語るのも苦しい様子だが、自分の過去から逃げはしなかった。 「俺は、この手で航空機を特攻機に仕立てて、そこに東さんのような人たちを何人も、十何人も乗せました。立派な人殺しです」  その告白を聞いた千代は、少なからず衝撃を受けた。痩せこけた元整備兵は先ほどより、長々と息を吐いた。 「…それでも、俺に天罰は下りませんでした。特攻を実行するよう命じた人間たちにも。そのことを、俺は恨みました。そして…ある時、あの人がやって来て言ったんです。『手を貸せ』と。手を貸せば、代わりに恨みを晴らしてやると」 「…あなたたちが、これからやろうとしていることは、千葉さんの恨みを晴らすことにつながっているんですの?」 「そうですね…ある意味、そうなります。でも、もう俺の恨みのことはいいんです。それより今は、あの人の望む通りにしてあげたい」  千葉は言った。 「あなたがおっしゃる通り、これはろくでもないことです。でも、やめることはできません。申し訳ないですが、やめるという道を選べる段階は、とっくに過ぎ去ってしまったんですよ」

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