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第23章②
一つ上の階。重症患者が収容されている病棟へ、カトウは向かう。階段を上がりきる前に、廊下の壁に背をあずけてたたずむスザンナが目に入る。向こうもすぐに、カトウの姿に気づいた。
「歩き回っていて、大丈夫なの? カトウ軍曹」
「平気です。あなたこそ、眠っていないように見えますが…」
「そうね。昨夜、というか今日の明け方近くね。知らせを受けたのは。でも、さっきトーストを少しかじって、コーヒーも飲んだから。マシにはなったわ」
スザンナは化粧をしていない顔で、無理に笑顔をつくる。
「私のことは心配しないで。こう見えて、漫画家よ。寝ずに原稿を仕上げることなんて、ザラにあるわ。それより、あなたの方こそ身体を休めて」
「……」
「どうしたの?」
「実は、さっき命令があって。すぐにでも東京に戻らなくてはならなくなりました」
「え…?」
「動けると言ったら、戻ってこいと言われて。仮病……使うには、遅すぎますよね」
カトウはクリアウォーターのいる病室を見やる。扉の向こうにいる恋人は、まだ目を覚さない。今後、必ず起きるという保証もなかった。
「…行きたくないです、正直。ここに、ダニエルのそばに残りたい」
カトウはうなだれる。スザンナは、病院着と包帯に身を包んだ小柄な軍曹を眺め、ゆっくり語りかけた。
「東京へ戻るのは、あなたたちが追っていた殺人鬼を捕まえるため?」
「…ええ」
「それなら。行かないとだめよ、カトウ軍曹」
スザンナはカトウの顔をのぞき込む。クリアウォーターの姉だ。元々、面差しに似たところがあったが、化粧が施されていない素顔からは、弟の面影がいっそう強く感じられた。
「ダンのことは、わたしに任せて。意識が戻ったら、すぐにあなたに知らせる。だから…」
スザンナの茶色の瞳に、有無を言わせぬ光が宿る。
「弟とあなたを、ひどい目に合わせたやつを、一刻も早く捕まえてちょうだい」
カトウはもう一度、病室を見る。そこで、三ヶ月ほど前の出来事を思い出す。
日本軍の元スパイ『ヨロギ』を捕まえた夜。病室で生死の境を彷徨っていたのは、カトウの方で、廊下でクリアウォーターが今のカトウのようにうなだれていた。そこに、ソコワスキー少佐が現れて、クリアウォーターを事件現場へ連れ戻したのだ。
今、立場は逆転した。しかもあの時と違い、殺人鬼--黒木は行方不明で、野放しになったままだ。
そのことに気づいた瞬間、沈んでいたカトウの心に火が点った。
ーー何がなんでも、捕まえてやる。もうこれ以上、貴様の思い通りにはさせない。
カトウはスザンナに向き直った。
「少佐に、伝言をお願いできますか」
「もちろんよ。言って」
「『俺にも非がありました。全部、許します』と」
「…ダンのやつ。何か、やらかしたの?」
「お恥ずかしながら、ケンカしていたんです。すぐに許せばよかったのに、俺が意地を張ってしまって…今、とても後悔しています」
気まずそうにするカトウの肩を、スザンナはポンとたたいた。
「詳しいことは、目が覚めたあの子から聞かせてもらうわ。で、きっちり叱っておく。場合によっては、ゲンコツ付きで」
「それはやめてください。もう一回、昏倒しそうなので」
下手な冗談だった。それでも、スザンナは笑ってくれた。
「気をつけてね。あなたも本当は入院患者なんだから、具合悪くなったらすぐに、周りに言うようにね」
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