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第23章④
今回、カトウは胃の中のものを吐かずに済んだ。ただし、機内から出た直後、しばらくその場でうずくまり、呼吸を整えなければいけなかったが。
カトウがぐずぐずしているのに、しびれを切らしたのだろう。少尉の徽章をつけた対敵諜報部隊 の要員が、待合用のバラックから現れ、せかせかした足取りで近づいてきた。
「ジョージ・アキラ・カトウ軍曹か?」
「……はい、俺です」
「あっちに車を待たせているから、先に乗っていてくれ。もう一人、同行者を連れてくる」
「…同行者?」
気息奄々のカトウの横をすり抜け、少尉はタラップをのぼる。まもなく、プリプリ怒る麦わら色の髪の男を連れて下りてきた。
「ちょっと! 急いでいるにしても、フライト直後よ。コーヒーの一杯くらい飲ませてくれても、いいんじゃない?」
「申し訳ありませんが、W将軍がお待ちです。後にしてください」
エイモス・ウィンズロウ大尉を目にし、カトウは頭を抱えたくなった。地球の反対側か、さもなくば月あたりに飛んでいってほしい相手と、まだ何時間か過ごさねばならないことを悟った。
「ねーえ。おチビさん。あなた、何か事情、聞いてる?」
「………」
「ちょっと、無視は良くないわよ。それとも何? また飛行機酔い?」
沈黙を通すカトウの横で、ウィンズロウは大げさに肩をすくめた。
「だいたい。どうして、一人なの? 赤毛の少佐さんは、一緒じゃなかったの?」
「……クリアウォーター少佐は、大阪で入院中です」
「…え? ちょっと、待って。どういうこと? 怪我でもしたの?」
カトウは答えない。ただ、ウィンズロウの反応から、大尉がこのニュースを初めて聞いたのは、明らかだった。
「ーーカトウ軍曹」
軽薄な陽気さに満たされていた声のトーンが、にわかに変わる。
「あなたの上官に何があったか、言いなさい。今すぐに」
真顔で詰め寄られたカトウは、しぶしぶ昨夜発生した事件のことを、最低限の言葉で語った。
クリアウォーターが重傷だというのも、さることながら。カナモト・イサミの正体が、旧日本陸軍のパイロット、黒木栄也だと知って、ウィンズロウは驚きを隠せなかった。
「…ジーザス。黒木は特攻に行って、死んだとばかり思っていたわ。少なくとも、ワタシが調べた時、日本側の記録じゃ、戦死判定がくだっていた」
「…黒木を以前、調査されていたんですか?」
「そうよ。ーーあー、呼び出された理由。ようやく見当がついたわ」
カトウが耳を疑うようなことを、ウィンズロウは言った。
「『マッドネス・トニー』。黒木栄也について、アメリカ陸軍の中で今、一番詳しい情報を持っているのは多分、ワタシよ」
ウィンズロウの言葉に、偽りはなかった。
東京駅に近い旧日本郵船ビル。参謀第二部 のトップに立つW将軍を相手に、ウィンズロウは臆することなく、黒木の人物像について語った。時間の経過で忘れていた細部については、ウィンズロウがクリアウォーターに渡し、その後、カトウの手で再び持ち主の元へ戻ってきた調査メモが、補完してくれた。
「ーー端的に言いますと、黒木は飛行隊指揮官としても、一パイロットとしても、極めて優秀な男でした。カリスマと統率力を備え、死と隣り合わせの危険な飛行も、臆することなく実行する。一方で、今村和時の証言によれば、反抗的な言動が多いせいで、上官や上層部との関係は、ずいぶんギクシャクしていたようです…ーー」
ウィンズロウの報告を聞きおえ、W将軍は目を閉じ、沈思した。ウィンズロウ、それにカトウを通じて入ってきた、膨大な新情報を整理するには、短くとも時間が必要だった。
ややあって、将軍は目を開いた。そして、
「…動機は、復讐か?」かすれた声でつぶやいた。
「小脇順右。河内作治。そして巣鴨プリズンでは、東條英機をはじめとする旧日本軍の高官たちが、狙われた。クリアウォーター少佐が、今村和時から聞き出した証言によれば、小脇と黒木の間には確執があり、小脇はかなり強引な手を用いて、黒木が率いていた飛行中隊を解体し、パイロットたちを特攻へと追いやった。何らかの理由で、特攻を生きのびた黒木が、自分達を苦境へ追い込んだ上層部に復讐を試みるのは、動機として理解できるし、筋も通る。しかし……それでも、分からないことがある」
将軍は言った。
「なぜ、黒木は己の部下の名前を騙った? 金本勇のふりをして、殺害現場に朝鮮の詩まで残して、金本の犯行であるかのように見せかけた? 捜査の撹乱が狙いだとしても…どうにも、理解できん」
それはカトウの抱く疑問でもあった。
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