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第23章⑦

 敗戦から一年後の一九四六年八月。黒木はすでに、東京に戻っていた。  ある目的を果たすために、名前を偽り、身分を偽り、上野にある教会で働きはじめた。  その時点で、すでに計画は動き出していた。東京に来たばかりの頃、黒木は「らいちょう隊」の蓮田と再会した。向こうが、黒木を見つけたのだ。蓮田はこの時、親類のツテで上野と有楽町に勢力を張るヤクザ「若海組」の組員となっていた。  蓮田との再会に、黒木は巡り合わせのようなものを感じた。自分がやろうとしていることを、何者かの見えざる手が後押ししている、とーー。  黒木は蓮田に、自分のやろうとしていることを打ち明けた。 「ーー面白そうじゃあないですか」  聞き終えた蓮田は、笑って言ってのけた。 「乗りますよ。それに、あの夜の約束は、まだ有効なつもりです」 「…なんだ、約束って?」  黒木は忘れていたが、蓮田は覚えていた。 「女装して、らいちょう隊の宿舎に来た時、俺に言ったでしょう。『持っている力の一切を、今後俺のために使え』と。全力で、協力しますよ」  黒木と蓮田が最初に行ったのは、情報を集めるかたわら、手足となって働く者たちを探すことだった。蓮田は東や松岡たち搭乗員の、黒木は千葉や中山たち整備員の居場所を探り出し、仲間を集めていった。  そして一九四六年八月十五日。黒木は、ある人物の元を訪れた。 「ーーこんな日に、客人とは珍しい」  高島実巳(たかしまさねみ)元中将は、夜間、それも玄関からではなく、塀を乗り越えて侵入してきた賊を見つけて、平然と言った。驚いたのは、むしろ見つかった黒木の方だった。高島との対話がどのようなものになるか、黒木は来る前に想像していた。触れられたくない過去を掘り返しされて、(かたく)なに口を閉ざすか、逆上するか、それともーー。  予想は、どれも外れた。  灯りの消えた質素な家の一室で、高島は軍服を着用し、開け放った縁側の先にある庭を眺めていた。手元には、年季の入った脇差(わきざし)。正座した脚の下には、せめて畳を汚さないよう、ゴザが敷かれている。かつて中将だった老人は怯えも、恐れもなく、軍刀と拳銃で武装した男を出迎えた。変装のため黒木は髭を生やし、容貌もかなり変わっていた。しかし、高島はすぐに、正体に気づいた。 「私を殺すつもりで、来たのか。黒木栄也大尉?」 「…返答次第では、そうするつもりでした」   黒木は正直に白状した。 「そのお姿。腹を切るつもりですか?」 「そうだ。貴官も奇妙というか、絶妙な時にやって来たな。あと一時間も遅ければ、おそらく話をすることもなかったろうに…」  高島は静かな眼で、縁側を眺める。 「いい庭だろう。手入れしているのは、もっぱら妻だが、私も少しだけ手伝った。貴官のうしろで花を咲かせている木が、妻の一番のお気に入りだ。名前は…何だったかな。何回聞いても忘れてしまう」 「……」 「それで。何か聞きたいことがあって、来たのだろう。これも、何かの縁だ。私に話せることなら、すべて話そう」

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