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第23章⑧

 まもなく死ぬと覚悟を決めた高島は、黒木の疑問に対して知る限りのことを教えてくれた。河内と小脇の独断専行を許してしまった理由だけでなく、他にも、黒木の今後の計画にとって極めて重要な情報をーー。  語り終えた後、高島は自らのことを話した。 「玉音放送を聞いた日。私は、一年だけ生きながらえようと決めた。アメリカや連合国は、必ずや日本の戦争指導者の責任を問う。そう考えていたからだ。予想通り、上陸したGHQは東條英機を初め、大勢の人間を逮捕した。いずれ私も、その中に含まれると思っていた。だが、今日に至るまで、ついに私が逮捕されることはなかった」  穏やかだった高島の声に、初めて嘲りとも(いきどお)りとも取れる感情が混じった。 「その理由を、人づてに聞いてあきれた。アメリカは、日本の多くの都市に爆弾を落として民間人を無差別に殺した。そのことで、国際社会から避難を浴びるのを避けたいがために、あえて日本が重慶など中国の都市に対して行った爆撃について、罪に問わないことにしたそうだ。さらに、航空関係の軍務に専念した者については、はじめから戦犯の対象外にすると。…おかげで私は今日、己の手で、自分自身に決着をつけることになった」  高島は、黒木に目をすえた。 「大尉。私は、未来永劫にわたって、償うことのできない罪を犯した。この国の敗北を、ほんの少し先延ばしにするために、すべてを分かった上で、何千という若者を後戻りできぬ死地へ向かわせた。私は今夜、死出の旅におもむく。そしてあの世で、私が殺してしまったすべての者に、()びを入れるつもりだ…」  高島は、(こうべ)を垂れた。 「すまなかった、黒木大尉。貴官はあれほど、特攻に反対していたのに。貴官の多くの部下を、特攻で散らせてしまった。私が、そのレールを敷いたからだ。彼らを殺したのは、つまるところ私だ。…もし、報復を望むのなら、今すぐその刀で、私を斬り刻むといい」  サアッと、夜風が二人の間に吹き抜ける。  黒木は口を引き結んだまま、高島から目を逸らした。 「…自殺したいのなら。勝手にやってください」  怒気をくゆらせ言い捨てると、黒木はザクザクと雑草を踏んで、高島の前から姿を消した。  残された高島は、またしばらく庭に見入った。それから、おもむろに軍服をはだけ、脇差を抜いた。  念入りに()いだ刀身は、弛んだ皮膚とその下にある肉を、やすやすと切り裂いた。 「………ぐぅ」  高島は真一文字に、刀を滑らせようとする。激痛とあふれ出る血が、動きを遮る。腹部を十五センチほど切ったところで、力加減をあやまり、刀が抜けた。  傷口から、血がどっと噴き出した。襲いかかる苦痛に顔を歪ませながらも、高島はもう一度、わが身に刀身を突き立てようとした。自分が兵たちに与えた苦しみの万分の一ほどでも、味わって死ぬべきだと思った。  その時、草を踏む音がして、縁側に影が落ちた。  もがく高島の前に、花のついた枝が差し出された。妻が一番、気に入っている木のーー。 「ーーこれは、百日紅(サルスベリ)です」  血の飛んだ縁側にひざまづいた黒木は、光を失いつつある高島の目をのぞき込み、はっきり告げた。 「俺は、あなたを許します。高島中将閣下。ーー僭越(せんえつ)ながら、介錯いたします」  暗かった。それでも高島は苦しめた者の一人から許しを得て、わずかに救われたように見えた。  黒木は立ち上がり、軍刀をかまえた。 「ーー閣下。あなたの旅路が、いつか無事に終わることを、俺は願っています」  言い終え、黒木は刀を振り下ろした。  この世での高島の苦しみは、そこで終わった。  数日後、黒木は高島元中将の自刃を伝える数行の記事を、新聞で見かけた。その短さは、世間の旧軍に対する無関心と冷淡さを、示しているように思えた。  遺体のそばに百日紅の枝が供えられていたことも、介錯者の存在があったことも、記事は伝えていなかった。

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