461 / 474

第24章①

 パーテーションで仕切られた一角で、カトウはU機関から来たサンダース中尉とアイダ准尉と共に、二時間ほどかけて書類をまとめ上げた。エイモス・ウィンズロウ大尉はひまを持て余してか、同席して三十分足らずで席を外した。 「ワタシ、ちょっと電話かけてくるから」  ウィンズロウが戻ってきたのは、書類がちょうど仕上がった頃だ。現れた大尉の手には、テイクアウトしたサンドイッチとフライドチキンの袋があった。チキンの揚げ油の匂いで、カトウは急に空腹を覚える。今日とった食事が、飛行機に乗る前にパンを食べたきりだったことを思い出す。  サンダースが袋を受け取り、慇懃に礼を言った。 「お気づかいありがとうございます、大尉」 「どういたしまして。買いに行く前にクリアウォーター少佐のお姉さんに、電話で容態を尋ねたわ」 「少佐は…」 「変化なしよ。悪くなってないけど、よくもなってない。眠ったまま。眠り姫ならぬ眠り王子ね。そろそろ、誰かのキスが必要かも」  場にふさわしくない冗談は、聞く者全員の沈黙で報われた。  サンダースは眼鏡の角度を整えるふりをして目を逸らし、アイダは礼儀正しく無視し、カトウは目に季節外れの霜を下ろした。  ぎこちない空気は、幸い長くは続かなかった。パーテーションの向こうから「カトウ軍曹はここか?」と、野太い声と共に、日焼けした中年男の顔がのぞいた。鷲を模した階級章を目にし、四人は一斉に立ち上がった。  軍曹、准尉、中尉、大尉の敬礼に、第八軍憲兵司令官キャドウェル大佐は返礼して、空いている椅子の一つにどさっと腰を下ろした。キャドウェルはコーヒーカップとテイクアウトの袋を見た後、鎮座するタイプライターと書類に目を止めた。 「それ(タイプライター)、ここで借りて書類のコピーを作ってもいいか? W将軍に許可をもらってくるから」 「問題ありません」  副官を走らせている間に、キャドウェルは巣鴨プリズンでの捜査状況を語った。 「上で将軍には話したが、一応ここだけの話にとどめておいてくれ。ーー巣鴨の囚人たちに昼間、黒木栄也と面識がある人間がいないか、尋ねて回った。だがあいにく、ろくに収穫はなかった。…下世話な話を、のぞいてな」  キャドウェルはそう言いながら、さも当然のようにフライドチキンの袋を開け、がぷっとかじりついた。どうやらカトウ同様空腹だったようで、話の合間にチキンがみるみる消えていく。 「俺は、日本人の顔の美醜はよく分からんが。黒木は、たいそうな美男子だったそうだ」  それを聞いて、カトウとアイダが一瞬、顔を見合わす。フェルミが描いた似顔絵ーー特に、ひげのない「カナモト」の想像画を見た時、翻訳業務室の日系二世たちの間で、その点がちょっと話題になったからだ。 「…この顔。さながら、舞台か映画の俳優だな」  ニイガタが言うと、 「いや。どっちかというと女優の方ですよ、これは」とササキが応じる。  もう少し、現実的な意見を述べたのはアイダだ。 「素顔が、これだけ目立つなら。逆に容姿を目立たせないように、ヒゲを生やしていたのかもな」  くだんの「下世話な話」を語る時、キャドウェルは「理解不能」という表情になった。 「どうにも、女を誘うように、黒木に言い寄った将官がいたらしい。それも一人、二人じゃない。ただ、全員冷たくあしらわれるか、しつこい人間だと肘鉄(ひじてつ)を食らったそうだ。比喩的な意味でなく」 「あらあら。もったいないことするわね」  小声でウィンズロウがうそぶく。自由恋愛主義者の大尉の感想は、二個目のチキンを咀嚼するのに夢中な大佐の耳には、届かなかった。  ここでアイダが尋ねた。 「黒木は、結婚は?」 「調べた限りでは、していない。婚約者や恋人については、まだ調査中だが…」 「いなかったみたいですよ、彼」  ウィンズロウの言葉に、キャドウェルが怪訝な顔になる。麦わら色の髪の大尉が、U機関の人間ではなく、さらに航空徽章をつけているのを見て、キャドウェルはようやく思い至った。 「W将軍が言っていたウィンズロウ大尉は、貴官か」 「はい。お見知りおきを、大佐どの」 「大尉は終戦直後に、日本軍のエース・パイロットたちの行方を調べたらしいな」 「ええ。今、話題になっている黒木栄也については、上陸後に特に時間を割いて調べました。彼は…個人的に少々、因縁のある人物だったので」 「というと?」 「私の友人が率いていた航空隊が、黒木の部隊と交戦したんです。アイス・バーク(沖縄上陸)作戦の真っただ中に。その友人、ヴィンセント・E・グラハム少佐は、その際、敵の『隼』の体当たりを受けて亡くなったんです」  キャドウェルはチキンを食べる手を止めた。ウィンズロウは、気にせず続けた。 「で。話を戻しますと、ワタシはグラハム少佐が死んだ時の状況をより詳しく知りたくて、黒木や彼の部隊に所属していたパイロットたちを探しました。黒木本人についても、あれこれ聞いて回ったんですが、彼は未婚で、それどころか恋人はおろか、女性の影が全くなかったんですよ」  ウィンズロウによれば、国を問わずパイロットはたいてい、二種類に分かれると言う。 「モテるのをいいことに、複数と関係を持つのが多数派。心に決めた一人だけ一途に愛するのが少数派。でも、黒木はどちらでもなかった。調べた当時も、珍しいと思ったものです」

ともだちにシェアしよう!