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第24章②

「逃走中の犯罪者は、しばしば恋人か、元恋人を頼るもんだが…」  キャドウェルはチキンを持ったまま嘆息する。 「ウィンズロウ大尉の言う通りなら、そちらの線は追えないな。黒木が化けていた『カナモト牧師』についても、女性関係の情報は皆無だから…」  キャドウェルはそこで、無言で考え込んでいる日系二世の軍曹に、ちらっと視線を向けた。 「何か言いたいことがあるって顔だな。カトウ軍曹」 「あ、いえ…」 「言ってみろ。ーーああ、その前にフライドチキン食ってからでもいいぞ」  自分が買ってきたわけでもないのに、袋を一つ開けてすすめる。カトウは丁重に断って、今しがた思い浮かんだことを口にした。 「黒木はこれまで事件を起こした現場に、『丹心歌』という詩を残しています。でも今のところ、最後の事件の現場である巣鴨に残っていた詩は未完で、殺人がまだ続くのではないかというのが、クリアウォーター少佐の考えでした。黒木が大阪に現れたのは、その殺人を実行するためだった、ということは、ありえないでしょうか?」 「あー…なるほど。お前さんも、俺と同じことを考えたか」 「…え?」 「黒木がお前さんやクリアウォーター、それに対敵諜報部隊(C I C)の連中を襲ったと聞いて。黒木が行おうとしていた『最後の殺人』じゃないかと、最初は疑った。だが、その可能性は、たぶん低い。今まで黒木の殺人の標的になったのは日本人ばかりで、しかも奴が属していた陸軍の軍人だ。面識のないアメリカ兵を計画的に狙うのは、今までの行動パターンからずれる。さらにW将軍の話だと、事件現場を細かく捜索したが、例の血文字で書かれた詩は見つかっていない」  二個目のチキンで飽きたのか、三個目にキャドウェルは手を伸ばさなかった。  かわりにサンドイッチを見つけ、即座に口に放り込んだ。 「ただし、まだ発見されていないだけで、黒木が大阪で殺人を犯したことは、十分にあり得る。というか、今日か明日にでも、死体が転がり出るんじゃないかと、俺はふんでいる。お前さんの意見は?」 「……大佐と全く同じです」  カトウは恥ずかしくなり、縮こまった。えらそうに思いつきを開陳したことが恥ずかしい。カトウごときが思いつくことなど、とっくに他の人間が考えついていておかしくなかった。  キャドウェルは言った。 「過去に黒木と接点があった陸軍の関係者で、大阪に住んでいる者を対敵諜報部隊(C I C)の連中がこれから調べるそうだ。復員省の力も借りてな。まあ、黒木が大阪で殺人を犯したか否かにかかわらず、やつを捕まえることが最優先事項であることに変わりはないが…」  キャドウェルはサンドイッチと共に、言葉を飲み込む。  黒木は東京都内から遠く離れた大阪へ逃走を成功させた。そして今また、姿をくらましている。このまま煙のように消えてしまう恐れは、ゼロではなかった。 「必ず見つかるはずです」  サンダースが、静かに断言する。 「黒木はうちのボス同様、変装の名人のようですが。クリアウォーター少佐の銃弾で、片耳を吹き飛ばされたと聞いています。その特徴を見逃すほど、我々も日本の警察も甘くはないでしょう」    報告書をコピーし終えた後、キャドウェルは辞去した。すでに時刻は夜の八時を回っている。テイクアウトの残骸を前に、ウィンズロウは口をとがらせた。 「あの大佐さん、ちょっと食い意地張りすぎじゃないかしら? 半分近く食べちゃって、もう!」  文句を並べる大尉の横で、カトウはサンダースを手伝い、U機関へ戻るための片付けを始める。すでにアイダは入口へジープを回すために、先に下へ降りていた。 「ウィンズロウ大尉。我々はこれから荻窪へ戻りますが、大尉はこの後は…」  サンダースの問いに、空の袋を手近なゴミ箱に放りこんでいたウィンズロウが振り返る。 「そうねぇ。いったん、お役目ごめんになったようだし、ここで失礼するわ。ちゃんとしたご飯、食べたいし」 「了解です」 「あ、でも誰か、ワタシと一緒に行く気がある人いるなら、歓迎するわ。夜のお相手をしてくれるなら、なお良しよ」 「誰もいないんで、とっとと消えていただいて結構です」  液体窒素をまぶしたような声で、カトウが即答する。礼儀に欠けている自覚はある。しかし、ウィンズロウがその程度のことを、気にするはずもなかった。 「あ、そう。じゃーね、おチビさん。きちんと寝て休みなさいよ」  そう言って、ウィンズロウは立ち去りかける。出口に向かう途中、タイプライターを持ち上げる仏頂面の中尉に近づいて、小声で告げた。 「ーー夜が更けない内に、スザンナに一度、電話してあげなさいよ」  サンダースが一瞬まごつき、タイプライターを落としかける。  ウィンズロウは、人差し指を自分の口の前に当てた。 「…あなたたちの関係は、ちょっと前にスー本人から聞いてるわ。あなた、ボーイフレンドなんでしょ。短い時間でいいから、言葉をかけてあげて。彼女、気丈に振る舞っていたけど、だいぶん参っている様子だったから」

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