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第24章⑩

「ローランは少し車で休憩してから、格納庫に行くって。そこに仮眠用のベッドがあるから」  ジープから降りてきたウィンズロウが、カトウの横に並ぶ。 「で、おチビさん。これから、どうするつもり?」 「ひとまず、飛行場内を見てみようかと…」  言っている途中で、カトウは自分の愚かさに気づく。  一度来訪しているのだから、分かりそうなことだが。調布飛行場の敷地は、とんでもなく広大である。長い方の滑走路だけでも、長さが千メートルあるのだ。 「適当に歩いていたら、それだけで日が暮れるわよ」  カトウの無計画さに、ウィンズロウが的確につっこみを入れた。 「黒木栄也や『はなどり隊』に関係する場所を、ワタシが案内してあげる。それでいい?」 「……お願いします」  慇懃に頼むカトウを連れて、ウィンズロウは「じゃ、行きましょう」と歩き出した。  ほどなく、エイモス・ウィンズロウ大尉が最良のガイドであることを、カトウは認めた。  ウィンズロウは以前、黒木について詳しく調査しただけでなく、自身が日頃、調布飛行場を離着陸するパイロットである。調査で得た知識と現実の空間が、麦わら色の髪の下で、しっかり結びついていた。 「あそこに見えるのが、ここで一番大きい格納庫よ。ワタシたちが来た当時は、屋根は空襲で無くなっていたけど、つくり直したの。今は、調布を利用する航空機が納まってるわ」 「その近くのコンクリートの建物は元々、黒木たちが属した戦隊の本部として使われていたわ」 「戦時中、飛行場の西側には、また別の日本の飛行隊が駐屯していたけど、今は水耕栽培場になってる。進駐軍関係者の食卓に並ぶサラダの材料の多くは、あそこで育てられているわ」  十分ほど歩いて、ウィンズロウは滑走路から少し離れた場所にカトウを導いた。  粗末な木造のバラックが、そこにぽつんと残されていた。建物の周りは雑草が生い茂り、全く手入れされている様子はない。入口らしい引き戸の脇に、表札を掲げるための太い釘が残っているが、すでに錆びている。建物全体が朽ちはじめていて、廃墟と呼ぶにふさわしかった。 「黒木が指揮官を務めた『はなどり隊』のピストよ」  ウィンズロウが言った。 「ーー一九四四年の冬頃、この狭いバラックに毎日、十数人のパイロットが寝泊まりしていた。隊長の黒木も、例外じゃなかったわ」  カトウは写真に残っていた黒木の姿を思い浮かべた。飛行服に身を包んだ威風堂々たる容貌はーー認めたくないがーー文句のつけようのない飛行戦隊の指揮官だった。 ーーそんな男が、連続殺人鬼と化した。  カトウはふと、クリアウォーターのカバンに残っていたメモを思い出した。大阪から戻る輸送機の中で、カトウは他の資料と共に、それに目を通した。  驚いたことに、赤毛の少佐は襲撃を受ける前の時点で、「カナモト・イサミ」が金本勇でないという結論を下していた。 〈ーー甲本貴助は過去に金本勇に会い、彼の顔を知っていた。だから、今際のきわに伝えようとしたのだ。『あの男は金本勇ではない。奴の名を騙る別人だ』とーー〉  クリアウォーターはカトウや他の人間より、明らかに真相に近づいていた。  しかし、それがどの程度のものだったかは、はっきりしない。もう何度目か。クリアウォーターに対して心を閉ざしたことを、カトウは悔やんだ。いつも通りに接していれば、クリアウォーターはどこまで事件を解いていたか、カトウに教えてくれていたかもしれない。  何より。この場にいてくれたら、その優れた洞察力で、カトウやウィンズロウの気づかないことに、気づいたかもしれないーー。  カトウがぼんやり考えていると、頭上からクリアウォーターにキスした元恋人の声が降ってきた。 「次の場所に行っても、いいかしら? ここ、ヤブ蚊だらけだし」  カトウは何も言わず、うなずいた。  ウィンズロウの後に続いて、再び滑走路の方へ戻る。広い場所に出たカトウは、見覚えのある植物に出くわした。  白い花をいくつもつけた木槿(むくげ)。  初めて調布飛行場に来た時も、カトウはその花に不思議と心惹かれた。  八月の太陽の下、木槿は今が盛りとばかりに、咲き誇っている。 「…その花。あなたみたいに、黒木も目を向けたかもしれないわ」  ウィンズロウが思い出したように言った。 「黒木は花を育てたり、鑑賞するのが趣味だったらしいから」

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