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第24章⑫

「電話したのは、大阪での事件でいくつか聞きたいことがありまして」  カトウはニイガタに言った。 「クリアウォーター少佐の容体。朝に一度、病院に電話して尋ねたのですが、その後は…」 「ああ。特に連絡は入っていないぞ。夕方ごろに、またこちらからも聞くつもりだ」 「そうですか…」  カトウの声に落胆を聞き取ったのだろう。ニイガタは、「あまり悪い方向にばかり考えるな。お前の身がもたんぞ」と言った。ニイガタなりの気遣いだった。 「それで、他にも用があるんじゃないか?」 「はい。昨夜、第八軍憲兵隊のキャドウェル大佐と話をしたのですがーー」  黒木が大阪に現れたのは、殺人を遂行し「丹心歌」の最後の一節を捧げるためではなかったかーーその推理を、カトウはニイガタにかいつまんで説明する。その上で、現場に血文字が残された他殺体が見つかっていないか、尋ねた。  ニイガタの答えは「ノー」だった。 「少なくとも、今のところそんな報告は入ってきていない」  さらにニイガタは捜査の進展に関して、新たな情報をカトウに教えてくれた。 「一九四五年当時、第六航空軍に所属していた佐官以上の軍人についてリスト化がようやく完了した。今ちょうど、関東以西が本籍になっている者の安否確認を、対敵諜報部隊(C I C)の人間と進めているところだ。大阪在住の人間については、すでに所在の確認が取れた」 「それは、つまり…」 「被害者になりそうな人物はちゃんと、生きとるということだ。少なくとも、こちらが把握した範囲で、大阪で死者は出ていない」 「あら、戻ってきたわね。なかなか来ないから、ちょうど呼びに行こうと思っていたところよ」  格納庫の一角に簡易テーブルを広げ、ウィンズロウはカトウを待っていた。テーブルの上には買い込んだホットドック、カットされたラザニア、洗っただけのトマト、そして湯気を漂わせるコーヒーが並んでいた。 「ローランにも一応、声をかけたけど、いらないって。あとでコーヒーだけ、持っていけばいいわ。だから、遠慮なく食べて」 「…いただきます」  カトウは小声で言って、口をつけた。  最初はさほど空腹を感じていなかったが、食べるうちに次第に食欲もわいてきた。多分、あちこち歩き回ったからだろう。結局、ウィンズロウと同じくらいの量を平らげた。  食後、タバコを喫いながら、カトウは先刻の電話のことを話した。クリアウォーターの容体が昨日から変わらないと聞いたウィンズロウは、思いがけない提案をした。 「あなた、いっそ赤毛さんのために一週間か十日くらい休みをとったら? 事件の聴取は済んでるんだから、多分、許可は下りるはずよ。あなたが交代で付き添いをしてくれるなら、スーの方も気が休まるでしょうし」 「それは…」 「ワタシ、明日また伊丹に飛ぶ予定だから。行くなら、乗っけてってあげるわよ。列車じゃ半日がかりでも、輸送機なら二時間よ」  軽い口調で言われ、カトウは返答につまった。飛行機に乗る苦行さえ無視すれば、その案は抗いがたい魅力を放っていた。  しかし同時に、カトウは不審を覚えた。 「…どうして、そこまで俺に親切なんですか?」  感じたままのことを、カトウは口にした。 「わざわざ、休日をつぶして俺の様子を見に来たり、ここに連れてきてくれただけでなく、今の提案も…ちょっと理解の範疇を超えています」 「あら、そう?」 「正直。大尉に対する印象は、今朝まで『最低の最低』でしたので」 「言うわね」  ウィンズロウは気分を害した様子もなく笑う。カトウは腹が立った。  人の恋人(クリアウォーター)とヨリを戻そうと、ちょっかいをかけてくる(やから)に、好印象を抱けるわけがない。  ウィンズロウは、煙草のけむりを吐き出し、その行方をしばし目で追った。 「ーーそういえば昔、付き合った男の一人がワタシのことをこう言ってたわ。『お前は元気な相手には、ちょっかいを出すか、皮肉ばかり言うが、相手が弱ると途端に優しくなる』って。多分、当たってる」 「……」 「さっきも言った通り。ワタシ、落ち込んでる男に弱いの。あなた自身のことは…そうね。特別、好きでも嫌いでもないわ。でも、力になりたい気持ちに嘘はない。そういう優しさって、ダメ?」  カトウはタバコを味わうふりをして、考える時間を稼ごうとする。もちろん、そんなことをしても、あまり意味はなかった。  ただ、クリアウォーターの容体が予断を許さない現状で、ウィンズロウ相手に不毛な喧嘩をふっかける気も起こらなかった。  カトウは自分に言い聞かせるために、日本語でつぶやいた。 「一時休戦」  そして、不思議そうな顔の大尉に告げた。 「…大阪行きの件。あとで少し、考えて返事をしてもいいですか」 「オッケーよ」ウィンズロウは請け負った。 「それで、飛行場内はあらかた案内したけど。外に黒木が住んでいた下宿が、まだ残ってるの。見学させてもらえるよう、あなたが家主と交渉するなら行ってもいいけど、どうする?」  もちろん、カトウに断る理由はなかった。

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