473 / 474

第24章⑬

 黒木が戦中、下宿していたのは、甲州街道に面した一軒の農家だった。  ウィンズロウがそこを訪れたのは、一年前のことである。一度きりの訪問だったが、手足がやたら長いアメリカ人の大尉を、家主は忘れていなかった。  再会した家主に、ウィンズロウは友好的に接したが、あまり歓迎されていないのは明らかだった。ありていに言えば、警戒している。それが不安の現れだと気づいたカトウは、丁重に申し出た。 「申し訳ないですが、もう一度、黒木が住んでいた部屋を見せていただけませんか? 用が済めば、すぐに帰りますので…」  腰を低くして頼みながら、さりげなくタバコの箱と一ドル札を差し出す。家主は苦い顔つきのまま、ため息を吐いた。 「ーーなるべく早く済ませてください。あと、わたしらはただ軍人さんに言われて、家を貸しただけで、それ以外は一切関わっていないんでね…」  どうやら、旧軍の人間を住まわせたことを咎められるのではと、恐れているらしい。カトウは黒木が起こした事件について、黙っておくことにした。元下宿人が連続殺人をおかし、お尋ね者の身となっていると知れば、家主が腰を抜かしかねなかった。  「下宿」と聞いていたカトウは、てっきり農家の一室を借りたのだと、思い込んでいた。  しかし通されたのは、母家とは別に建てられた小さな離れだった。今は誰も住んでおらず、半分、物置として使っているという。 「終戦間近に、戦死したという知らせがうちにも届きました。実はまだ荷物を預かったままなんですよ。ご家族の方が引き取りに来るんじゃないかと、思いまして。でも二年が経つのに、一向に音沙汰がなく、どうしようかと思っているんです…」  家主の愚痴を、カトウは翻訳してウィンズロウに伝える。ウィンズロウにとっても、その話は初耳だった。カトウは家主に聞いた。 「残ったままの荷物。見せていただいても、構わないでしょうか?」  黒木の私物は、わずかばかりの日用品、衣類、そして薬箱に似た小物入れだった。残された衣類の多くは、古いが上等な着物である。  ただ、奇妙なことに全て女物だった。 「あら、綺麗ね」  畳紙(たとうがみ)の下から現れた極彩色の花の模様を見て、ウィンズロウが言う。 「亡くなったお母さんの形見だそうです」  首をかしげるカトウに、家主が説明してくれた。 「荷物を預かる時に、二着ほど譲っていただきました。まあ、預かり料のつもりだったんでしょう。いただいた分はありがたく、うちの娘と女中の正月の晴れ着にさせていただきました」 「なるほど。こちらの薬箱は…」 「薬ではなく、花の種を入れておられました」  黒木が花を育てるのが好きだったことを、カトウは思い出す。主人に断って、引き出しの一つを開ける。そこには万年筆で「鬼灯(ほおずき)」と書かれた懐紙と、小さな種子が入っていた。種子よりも、紙の上の字の方に、カトウの目は吸い寄せられた。  決して上手くない字は、小脇らの殺害現場に残されていた血文字と筆跡がよく似ていた。  引き出しを閉め、カトウは傍らに立つウィンズロウに尋ねた。 「確か黒木は正妻の子ではなく、腹違いの姉妹がいたんですよね」 「ええ。でも、ワタシも会ったことはないわ。探し出せなくて。それに、調布にいた間に黒木のところに肉親が会いに来たことはなかったと、今村が言っていたわ」  カトウは家主を振り返った。 「ここに、黒木の家族が来たことはありますか?」 「…言われてみたら、一度もなかったですね」 「では、他に黒木を訪ねてきたり、彼と交流していた人間はいましたか?」 「ええっとーーちょっと待ってください。私よりも、その辺りのことを覚えていそうな者がおりますので」  家主は離れを出て、一度母家へ消える。再びカトウたちの前に現れた時、モンペを穿き着物をたすき掛けした女性を連れていた。  カトウが質問すると、女中だという女性はすぐに答えてくれた。 「はい。時々、部下らしい人を連れて来ていましたよ。ーー…ええ、いつも同じお人でした。名前までは知りませんが」 「その男の特徴を、覚えていますか?」 「大尉さんより少し背が高かったですね。身体もがっちりしていて、強面で、いかにも兵隊さんという雰囲気でした。でも…ーー多分ですけど、日本人じゃなかったと思います」  そこまで聞いた時点で、カトウは男について見当がついた。  大阪で、今村から得た証言。それに、黒木と共に写真に映っていた人物ーー。  続く女中の言葉で、確信に変わった。 「大尉さんがその方と一度、妙な言葉で話しているのを聞きましたから。あれは、朝鮮の言葉じゃなかったかと思います」  間違いない。本物の「金本勇曹長」だ。

ともだちにシェアしよう!