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第24章⑲
…激情が流れ出た後、黒木の身体の中には虚無の深淵が広がった。赤く充血した虚ろな目が、一本の木をとらえる。まだ蕾もふらんでいないが、モクレンの木だと分かった。
幹に近い枝の一本に、ちぎれた縄が垂れ下がっている。長兄の妻が首をくくったというのは、この木だろう。遺骸を下ろしたあと、首吊りの縄はそのまま放置されたらしい。
風が吹き、縄が揺れる。それを眺める黒木の口から、あの詩が流れ出した。
「ーーこの身が死んで、また死んで 。一百回、死んだとしても ……」
立ち上がり、人を死なせた樹木へ近づいていく。
「白骨、塵となり 、魂があるかないか分からないが …」
何かに取り憑かれたように、死ぬための手順を考える。拳銃も、刀もないが、縄と小刀なら持っている。死んだ女に倣って、首を吊ることもできるし、それが面倒なら小刀を自分の首に突き立てればいい。少しひねれば、それで終われる。
「あなたに捧げた一片の丹心は 、決して変わることはない ーー」
吟じ終えた瞬間、黒木の足元の地面が崩れ落ちた。
雪で隠された古い穴蔵の中に、黒木は転がり落ちた。それほど深くなかったので骨こそ折れなかったが、不意打ちもいいところだった。大の字に転がったまま、上を見上げる。自分が踏み抜いた穴から、靄のように陰鬱な光が漏れ落ちている。おぼろげな光源だったが、天井に粗雑に張り巡らされた木の梁は、十分に確認できた。
「……蘭洙が言ってた、ガキの頃に悪さをして閉じ込められたキムチの穴って、これのことか」
すぐに起き上がる気力が湧いてこない。それどころか、もうここで寝てしまいたかった。
寝たら凍死する危険があると、分かっている。けれども別に、そうなっても構わないと思った。目を閉じると、本当にそのまま、気絶するように黒木は眠ってしまった。
次に目が覚めると、完全な暗闇にいた。眠っている間に夜になったのだ。
手足は冷えていたが、しっかり防寒してきたことが幸いし、まだ生きていた。しばらく目を開けたまま地面に横たわっていると、空っぽだった心に、再びふつふつと熱を帯びた感情が溶岩のように湧いてくるのが分かった。
金本と家族に降りかかった理不尽な運命への恨み。
そして、それをもたらした者たちへの憎悪。
怨みと憎しみが、鋼のように堅い殺意へと昇華するのに、時間はかからなかった。黒木は両眼に狂気を宿し、呪いの言葉で誓った。
「……天か、神か、仏か。存在するなら、俺をここで殺してしまえ。この穴蔵で朽ち果てさせろ。もし、俺が生きてここを出たなら。俺は、俺と金蘭洙から大切なものを奪っていった連中全員に、復讐してやる。決して、楽な死なせ方はしない。奴らの血と肉と苦痛でもって、贖 わせてやる」
…翌朝。犬の吠え声で、黒木は意識を取り戻した。
頭上の穴から、記憶にある白犬と、その飼い主である老人が、呆れたように黒木の方を見下ろしている。
二十分後。老人は家から持ち出したハシゴを携さえ、再び姿を現した。
穴に差し出されたそれを自力で登り、黒木は脱出した。
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