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第24章㉑
帰国者でごった返す船の甲板で、黒木は遠ざかる釜山 の港を眺めた。日本から飛び立って四ヶ月。敗戦は予想していた以上に、人間たちの価値観を激変させていた。
寒風に身を晒しながら、黒木はうずくまって考え続けた。
ーー復讐を果たすだけでは、十分じゃない。
特攻兵として死んだことは、今や朝鮮人の間で最大の汚名と成り果てた。金本の汚名を雪ぎ、名誉を取り戻さなければならない。さもなくば、彼も、彼が守ろうとして結局殺されてしまった家族も、あまりに浮かばれない。
浅い眠りをはさみつつ、黒木は思考をめぐらせた。そして、のちに練り上げる計画の糸口を見つけた。
ーーすべての悲劇は、蘭洙が死んだことが発端だ。ならば、生きていることにすればいい。
金本勇ーー金蘭洙 は特攻へ行ったが、死ななかった。その事実をこれから作り上げればいい。そのためにはーー
ーー俺があいつ に成りかわる。
だが、まだ足りない。金本が生きていることを、あらゆる人間に知らしめなければならない。それも特攻兵となった事実を消し去れるくらいの名誉がーー兄の金光洙のように、人々が自発的に称えるような「爪痕」が必要だ…!!
汽笛が、黒木の頭上で鳴り響く。狭い船室から甲板へ上がってきた日本人たちは目を細め、海面の彼方に横たわる陸地を見つけるや、涙を流した。
「帰ってきた……日本だ!」
周囲の空気に感化されたか。黒木の冷え切った心にも、わずかに感傷の波がわき起こった。およそ五ヶ月ぶりの帰国だった。
これから何が待ち受けているかーー否、何をすべきか、具体的な形はまだない。だが、必ずやり遂げる。
黒木は、近づいてくる舞鶴の港を眺め、決意を新たにした。
……あれから、約一年九ヶ月。黒木の計画は、最終段階に入ろうとしている。
途中、いくつもの邪魔が入ったが、それでも止まってはいない。
誰一人、止められる者などいない。
二十四時間後には、すべてが終わっている。そして数日も経てば、「金蘭洙」の名前は日本だけでなく、世界中に知れ渡るはずだった。
山道を登るうちに、行手をさえぎっていた木々が唐突に途切れる。
その先に、小学校の校庭ほどもある平地が広がっていた。山を削り、人工的に整備されたことは、一見して明らかだった。
黒木が今、登ってきた山は、かつて金鉱脈を求めて採掘が行われた鉱山であった。期待された金こそ出なかったものの、掘削が進んでいたことと高い秘匿性から戦争の末期に陸軍が目をつけ、「観測所」の名目で、ある施設が急造された。
露出した山肌に、二十メートルほどもある巨大な穴があいている。
黒木は足音を忍ばせ近づき、入り口をひょいとのぞき込んだ。十メートルほど先で、若い男が入り口に背を向けてタバコを喫っていた。足元にいくつものすい殻が転がっている。
顔が見えずとも、苛立っている様子が男の背中から伝わった。
「ーー悪いな。来るのが遅くなった」
黒木にいきなり声をかけられ、男は飛び上がった。だが、どれほど驚いても悲鳴は上げない。声が出せないからだ。
東 は喫っていたタバコを投げ捨てると、慌てた様子で黒木の方へ近づいてきた。天井や周囲の岩盤に反響した黒木の声を聞きつけ、他の者も次々と集まってくる。千葉に、中山、さらに「はなどり隊」の戦闘機を整備していた者たちがーー。
耳の怪我について尋ねようとする千葉を制し、黒木は奥へ進んだ。もう一つ、挨拶しておきたい存在があった。
銀色の肌を持つジュラルミンの燕が、薄闇の中に浮かび上がる。
かつては南方に、本土に、いくつもの群れを作り生息していた金属の燕たち。その多くは、海や陸に墜死し、残ったものもアメリカ兵の命令で解体させられた。今も生き残っているのは、この場所にあるのを含め、ほんのわずかだった。
陸軍三式戦闘機。キ-61「飛燕」は、最後の飛行を待ち、静かに佇んでいた。
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