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第25章①
「ーーー…〜い。おーい。ジョージ・アキラ・カトウ」
肩を揺さぶられて、カトウはビクッと身体を震わせた。一秒のタイムラグを経て、頭の方が覚醒する。勢いよく顔を上げたせいで、のぞき込んでいたフェルミにあやうく衝突しかけた。
「…今、何時だ!? 何時間くらい寝てた?」
「せいぜい二時間くらいよ」
冷静に答えたのは、ウィンズロウだった。
「疲れが出たんでしょうね。資料を見ながら、そのまま寝ちゃったのよ」
カトウは慌てて、窓の方へ顔を向ける。外はすでに日が暮れ、暗くなっていた。
「…もっと早く起こしてくれれば、よかったのに」
カトウの不満の言に、フェルミとウィンズロウは目を見交わす。二人はそろって、ため息をつき、首を振った。
「あなたが寝てる間に、サンダース中尉から伍長さん宛てに電話がかかってきたわ。参謀第二部 での仕事が長引きそうだから、今日はもう戸締まりして帰るように、だそうよ」
「それでね。エイモス・ウィンズロウ大尉が、ご飯を一緒に食べに行かないかって言うから、ジョージ・アキラ・カトウを起こしたんだ。お腹、空いてるんじゃない?」
カトウはすぐに答えるかわりに、目をこすった。
資料を読み始めたが、さほど進まないうちに睡魔に負けてしまった。おまけに、何も思いついていない。しかし、フェルミに指摘された通り空腹は感じていた。
食事を済ませた後で、また戻ってきて調べ物を再開した方がいいとカトウは判断した。無論、フェルミは賛成しないだろうから、こっそりと。
「…分かりました。ご一緒します。で、どこに行きます? 新宿まで出たら、店はいくらでもありますが」
「もし、あなたたちさえよかったら、飛行場近くにあるお店でいい? ワタシの行きつけの。帰りはジープで、近くの駅か、なんなら荻窪まで送っていってあげるから」
もちろん、カトウに反対する理由はなかった。
二十分後。ウィンズロウが運転するジープは、吉祥寺駅から少し離れた場所に停車した。
目的の店は、こじんまりとした二階建ての洋館だった。灯火に照らされた看板がなければ、個人の邸宅として見逃されるくらい目立たない。周囲には店はおろか、家もなく、木々が風にザアザアと揺れる音がするばかりだった。
看板の銅製のプレートには、〈山猫軒〉の三文字が読み取れた。それを見て、カトウは命名者のひねたユーモアを感じ取った。
「…店に入ったら、長い廊下があって、扉に客への注文があれこれ書いてあったりしませんかね」
「ワタシもあなたも、そこの伍長さんも、食材にするにはもう少し肉をつけないといけないんじゃない? 『ヘンゼルとグレーテル』のヘンゼルみたいに」
ウィンズロウがニヤリと笑う。どうやら、店名の由来が、日本の有名な童話だと知っているようだ。キョトンとするフェルミをうながし、ウィンズロウは真鍮製のドアノブを押した。
ランプに照らされた狭い店内は、テーブル席が三つ、それにカウンターが四つあるだけだった。客の姿はない。しかし、すぐに奥から清潔なエプロンをつけた若い娘が現れた。顔にそばかすが残り、それが少女めいた雰囲気を強めている。彼女は手足の長い大尉を認めると、にっこり笑って、テーブル席へ案内した。
彼女がメニューを置いて去ると、フェルミが好奇心に溢れた目をくるりと回した。
「ねえ、あの女の人。日本人? それとも…」
「母親が日本人、父親がドイツ人。その父親が、この店の料理人兼店主よ。昼間はたまに山に入って、猟銃で獲物を狩ってるそうよ」
ウィンズロウはメニューを開かず、そのままフェルミに手渡す。
「それ以上のことを知りたかったら、本人に聞きなさい。とりあえず、酢キャベツ とポテトフライ、それからパンとビールを注文して、メイン料理はお任せでいいかしら?」
ビールを注文したものの、飲んだのはもっぱらフェルミだけだった。カトウは下戸であるし、ウィンズロウは車の運転をするので、コップ一杯だけにとどめた。
それがよくなかったのだろう。食事が終わる頃、フェルミが早々に睡魔に屈し、眠りこけてしまった。店の時計は、まだ八時にもなっていなかった。
「…ちょっ。おい、起きてくれ」
「う〜。むにゃにゃ…」
椅子に座ったまま、熟睡している。猪肉の煮込み料理を食べ終えたウィンズロウが、呆れた表情でカトウに尋ねた。
「この人、いつもこうなの?」
「いつもかは知りませんが、前に俺や同僚と飲んだ時も、食事中に寝たことがあります。その時は、俺の部屋に泊めたんですが…」
そこまで言って、カトウははたと気づいた。
「しまった。フェルミがどこの宿舎に住んでいるか、俺、知らないんです」
うかつであった。前回、泊めた後に聞けばよかったのだが、すっかり失念していた。
カトウはフェルミを起こして聞き出そうとしたが、徒労に終わった。やむを得ない。また、曙ビルチングに泊めるかと、カトウが諦めかけた時、
「飛行場に、小さいけどパイロット用の宿舎があるから。そこに今晩、泊めてあげるわ」
ウィンズロウが言った。
「ただ、この人を一人で放り出すのは不安だから。あなたも一緒に泊まってあげて」
「え。でも…」
「じゃないと、あなただって徹夜で仕事をしかねないでしょう。身体に良くないわよ。今日はもう、この伍長さんと早めに休みなさい」
「……」
見抜かれていた。
きまり悪く口ごもるカトウに、ウィンズロウは、ニヤニヤ笑って思わせぶりな一瞥を投げかけた。
「それか、ウチに来る? ワタシ、一人暮らしだけど、幸いベッドは大きめのサイズなの。ちょうど二人とも小柄だし、まとめて引き受けるのも無理じゃないわよ」
「飛行場に泊まらせていただきます」
カトウは即答した。
ウィンズロウの下宿先など、まさに「山猫軒」だ。肉がついてなかろうが、好みでなかろうが、男が一度、足を踏み入れれば、家のヌシに「食べられる」に決まっている。
カトウの見方は完全に偏見に基づいていたが、残念ながらあながち、的外れでもなかった。
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