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第25章②

 ウィンズロウが案内した調布飛行場の搭乗員用宿舎には、四つの部屋があった。  廊下を挟んで左右それぞれに二部屋ずつあり、各部屋に簡易ベッドが二台設られている。部屋の広さもホテルのツインルームと同じくらいだった。  熟睡するフェルミを運び入れた後、カトウは同僚の靴を脱がせ、薄い上掛けをかけてやった。もっとも、今は夏だ。暑くて寝ている間にはねのけそうではある。  その間に、ウィンズロウは電気がついている対面の部屋をのぞきに行った。 「こんばんは〜…って。あら、ローラン。あんた、今日泊まるの?」  ベッドの上で寝そべって、雑誌を読んでいたローラン・アラルド中尉は、来訪者がウィンズロウと知った途端、嫌そうに顔をしかめた。 「…明日、同乗する予定の機が早朝出発なんだ」  アラルドは一度、下宿に帰ったのだろう。シャワーを浴び、無精髭も剃って、さっぱりした様子だった。二日酔いの酒も抜けて、顔色も普段と変わらない状態に回復していた。  ウィンズロウは隣室に急遽、泊まることになった部外者(カトウ)たちの存在を、手短に説明した。それから、空いているベッドにチラッと目を向けた。 「いっそ、ワタシも泊まっていこうかしらね。今晩、完全にフリーなのよ」 「さっさと家に帰れ、色情魔」 「ちょっと、ひどい言い草ね。昨日はひと晩中、付き合ってあげたじゃない。せっかくだから、続きをーー」  ウィンズロウが言い終わらぬ内に、立ち上がったアラルドが訪問者の鼻先で扉を音高く閉めた。 「ーーなんかあったら、連絡してよ! ワタシ、家は近所だし。すぐに駆けつけるから」  ウィンズロウは扉越しに言い、後ろの部屋にいるカトウを振り返った。 「ま、たまに一人の夜があるのも仕方ないわ。明日の朝には、あなたたちを迎えに来てあげる。じゃ、おやすみなさい」  送り狼になり損ねた大尉は、平然とした顔で宿舎を後にした。  ウィンズロウが去ったことを確認し、アラルドは再び廊下に顔を出した。扉を開けたまま、対面の部屋で寝支度をするカトウに、彼は重々しく告げた。 「…あいつ(ウィンズロウ)がいたら、オチオチ目も閉じられない。帰ってもらった方が、安眠できる。そうだろう?」  カトウは、即座に応じた。 「まったくもって、おっしゃる通りだと思います」  アラルドとカトウが、ウィンズロウを無事に追い払ったのと同じ頃ーー。  岩手県盛岡市内にある旅館に、この日の巡幸の取材を終えた佐野が、くたびれた足を引きずって戻ってきた。投宿している部屋の襖を開けると、途切れなく漂う煙草の煙で、部屋に白い靄がかかっていた。  すでに一足先に戻っていた新聞社の同僚が、佐野を認めてねぎらいの言葉をかけた。 「お疲れさん」 「ああ。ほんまに、疲れたわ」  佐野は畳の上に荷物を置き、灰皿を引き寄せる。まずは煙草で一服入れ、それから宿が用意してくれた食事を慌ただしく、かきこみはじめた。  机に向かってペンを動かす別の記者が、顔も上げずに佐野に尋ねた。 「どうだった、釜石の方は?」 「行く先々、人だらけや。今日も盛況やったよ。天皇さんが港に行かれはった時には、あれは漁師やろなあ。船の上で、虎の頭の獅子舞を舞って、歓迎しとった。午前の宮古の方は、どうやった?」 「地元の水産学校の船に乗って、海に出ていたよ。カツオが水揚げされる様子を、珍しそうに眺めてたそうだ」  記者は湯呑みを傾け、出涸らしの茶をすすった。 「…つくづく、時代が変わったと感じたよ。天皇陛下が、仰々しい礼服も着ずにあちこち行かれて、その辺の百姓や漁師や学生に、声をかけられるんだから。ひと昔前は、考えられなかったことだ」 「ほんまに」  佐野は同意し、新しい煙草に火をつけた。それをくわえたまま、食事の済んだ膳を廊下に出す。空いている机に陣取ると、カバンから取材時にメモをとった手帳と原稿用紙を取り出し、締切に間に合わせるべく、記事を書き始めた。  紙を鉛筆やペンでひっかくカリカリという音だけが、しばらく部屋に漂う。 ーー時代は変わった。…けど、ほんまにそうやろうか?  原稿用紙のマスを埋める佐野の心に、小さな反問が浮かぶ。 ーー激変した世の中に取り残されんよう、みんな必死でもがいとる。余裕がないから、あの頃を思い出さんだけで、忘れたわけやない…。  今も戦争にとらわれている人間は大勢いる。佐野もその一人だ。  日本が負けたこの戦争は、いったい何だったのかーーその問いが常に、身体の奥底で伏流水のように駆け巡っている。  K農場で出会った元特攻隊員のことを、佐野はふと考えた。  松岡に取材をーーというより、所感を尋ねに行ってもいいかもしれない。天皇の東北巡幸はまだ続く。しかし、帰路のどこかのタイミングで農場を訪れることは、可能だろう。  記事にならなくてもいい。天皇の「赤子」として戦い、一度は死出の道を歩まされそうになった青年が、今、そのことをどう感じているのか。  彼の語る言葉を記して、残しておきたいと思った。

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