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第25章③
…松岡は懐中電灯で足元を照らしながら、農場の敷地を足早に移動していた。
今夜はまだ月が出ていない。日ごろから歩き回り、敷地内の建物の位置は熟知しているものの、夜に動くには明かりは必須だ。
先ほど、エンペラー が農場内にある宿泊所に戻ってきた。知らされていた予定では、九時ごろまでには戻るはずだった。県内の各所を回ったため、遅れが生じたのだ。だが、計画を変更するほどではない。兎にも角にも、農場内の人目がエンペラー へ向いている今が、勝負どきだ。
松岡は先に、仕掛けた稲藁の山を巡って、隠していた木箱の中の炭に火をつけた。一番、早く箱が燃え上がるのは六時間後。風は穏やかで、稲藁から上がる煙は、遠方からでもよく見えるはずだ。
それから松岡は、蓮田たちが隠れている小屋へたどり着くと、急いで扉の鍵を開けた。
「待ちくたびれたぞ」
蓮田が文句を言いつつ、立ち上がる。他の男たちもそれに倣う。松岡が近づくと、全員から二日分の汗の匂いが漂ってきた。しかし、問題にはなるまい。農場の従業員が汗臭いのは、常のことだ。それに緊急時に、他人の体臭を気にする余裕はないだろう。
松岡は遅刻したことを謝り、「目標が戻ってきました」と告げた。
「了解だ。よし、じゃあ行くぞ」
蓮田は声をかけ、一日半ぶりに小屋の外へ出た。
一同は松岡に先導され、林の中を人目につかぬよう突っ切った。
歩くこと数分。エンペラー が寝泊まりする日本家屋から五十メートルほど離れた藪の中で、松岡は足を止めた。息をひそめ、闇に沈む建物の様子をうかがう。明かりが消えていることから察するに、「目標」はすでに就寝したようだ。
昨夜おそく、松岡が偵察している間、巡邏する四〜五人の警官が、建物の周りを油断なく見回っていた。松岡は数時間かけて、彼らの行動を頭に入れた。そして今日の午前中、エンペラーが不在となり、家屋の警護が手薄となったタイミングで、仕込みをしておいた。
薮の中にとどまり、一時間ほど待った。その間、誰も口をきかず息をひそめている。動くものといえば、蚊に刺された部分を遠慮しがちにひっかく誰かの手くらいだ。
農場内に仕掛けたのと同じカラクリの木箱を、松岡は昼間、軒下の柱にくくりつけておいた。事前に中の炭は調整してある。午後十一時前に木箱は燃え上がり、その火が柱へ燃え移った。
柱には、不発弾から取り出したナパームをしっかり塗りつけてある。ボッと、音を立てて日本家屋の一角から煙と炎が上がった。
近くにいて気づいた警官がその場で立ち止まり、悲鳴まじりの声で叫んだ。
「ーー火事だ!!」
火は瞬く間に、柱から床へと這い始めた。松岡の後で、蓮田が目を細めた。
「…おい、火が回るのが早くないか? 『目標』がうっかり焼け死んだら、目も当てられんぞ」
「大丈夫。いざとなったら、見回りの人間が建物自体を壊して、延焼を防ぐでしょう。ーー行きましょう」
松岡は隠れていた藪から飛び出し、集まってきた警官たちの元へ駆けつけた。
「火事ですか!? 待っていて。すぐに水を持ってきます」
松岡は蓮田たちを従えたまま、建物の中へ向かった。
警官たちは、彼らを農場の人間と思い込み、誰も怪しまなかった。疑う余裕がないのだ。
彼らの頭を占めているのは、ただ二つ。一秒でも早く、火を消すこと。そして、守るべき人間を即、安全な場所へ退避させることだけだ。
襲撃者たちは、打ち合わせ通りに行動した。
松岡は水の入ったバケツを持ってくるふりをして、厨房へ向かう。その間に、蓮田は柴田たちを連れて、警官たちの後についていく。
「目標」の寝室は、十二畳ほどの和室だった。蓮田が襖をのぞき込むと、起きたばかりの男が、侍従の手からメガネを受け取って掛けるところだった。
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