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第25章⑨

 七月に浜松で河内作治を襲って、さらった時、黒木は一人ではなかった。  蓮田が協力していた。戦後の一時期、『若海組』の一員として活動していた経験か、はたまた元々の素質か。白昼に人ひとりを誘拐し、縄で縛って夜まで監禁するにあたり、蓮田は極めて有能な助手となった。二人がかりなら、普段、人の往来が少ない農作業小屋に、河内を運び入れるくらい、造作もなかった。 「ーー去年、死んだ高島中将どのと、それから貴様の手駒だった小脇順右が、死ぬ間際にあらかた暴露した」  さるぐつわをかませ、地面に転がした河内に向かって、黒木は冷えた声で語りかける。 「金光洙が皇太子を暗殺しかけた事件の後、貴様は弟の金本を前線送りにして殺そうと画策したそうだな。そのあとも、金本が生き延びたと知って、特攻隊に入れようとした。一度は高島中将の手が入って阻止されたが。中将どのが発作で倒れた後、ついに止める人間がいなくなったーー」  足元から、くぐもった声が上がる。黒木は蓮田に目配せした。心得た部下は、軍人時代から使い続けている小刀を河内のアゴの下に押しつけた。大声を上げれば、即、喉をかき切るという警告だ。  蓮田に河内を押さえつけさせ、黒木はさるぐつわを外した。その途端、河内は荒い息とともに、疑問を吐き出した。 「なぜ生きている、黒木? 貴様は、米軍機に特攻して果てたはずだ。それなのに、なぜ……ぐがっ」  最後の押しつぶされた声は、黒木が靴先を河内の口に突っ込んだことによる。 「余計な口をきくな。俺に訊かれたことだけ答えろ」  本当なら、そのまま河内の歯を蹴り砕いてもよかった。だが、黒木は寸前で控えた。  高島中将も知らず、小脇を痛めつけても聞き出せなかった謎が、まだ残っていた。 「ーーなんで、金本曹長の命を執拗に奪おうとした?」  地面に転がるこの男は、金本が死ぬ原因を作った張本人だ。復讐を果たす前に、そのことだけは聞き出したかった。  そうでなければ、この監禁のひと幕は存在しない。誘拐して、直ちに付近の橋の下に隠してあるドラム缶のところへ直行しただろう。 「金本を殺したかった理由はなんだ? 一体、あいつの何が気に入らなかった?」  河内の口の端から、血の混じった唾液が垂れる。知らず知らずのうちに、黒木はつま先に力を入れていたらしい。靴を引くと、河内は大きくむせて土塊を吐き出した。そしてーー。 「…理由だと? そんなもの。奴はとうに死んでいるべき人間だった。生きていること自体が道理に合わない、間違っていたことだった。だから、ふさわしい死に場所を与えてやったのだ」  憎悪で塗り固めた呪詛を、黒木に向かって投げつけてきた。 「それは貴様も同じだ、黒木! 特攻に行けと命じられたにも関わらず、なぜのうのうと生きている!? なぜ体当たりをしなかった。理解できん。全く理解できん。一片でも恥が残っているなら、今すぐここで死…げがっ!」  わめく河内の口に、黒木は容赦無く靴をめり込ませた。河内は歯が折れたが、首は無事だった。黒木の暴力を予期した蓮田が、少し前に小刀をひねって刃ではなくの方を当てていたからだ。ただし、被害者への思いやりから出た行為ではない。  頸動脈を切られて失神し、失血死するなど、死に方としては手ぬるすぎて、黒木は到底、受け入れられないだろう。  黒木は靴をねじ込みながら、かつて大佐だった男を見下ろした。  河内は黒木を理解できないと言ったが、それは黒木の側も同じだった。  金本に、人知れぬ遺恨を抱いているのかと思った。しかし、大した理由はなかった。さしたる理由もなく、ありていにいえば、ただ目障りだというだけで死地へ追いやった。そうできるだけの地位にあり、権限があったからした。  失って、狂気に堕ちるくらい黒木にとって大切だった。そんな存在を、虫でも追い払うかのように、河内はこともなげに奪っていった。 「ーーおい、蓮田。ナイフ貸せ」  黒木は手渡された小刀を受け取ると、それを河内の眼前でチラつかせた。 「高島中将どのはな。自分が死なせた兵隊に詫びを入れるために、腹を切った。敗戦の将は、かくあるべきだ。河内大佐。貴様こそ、中将どのを見習って、この場で腹を切ったらどうだ?」  それは河内にとって、このあと待ち受ける悲惨な最後を回避する唯一のチャンスだった。  しかし、河内は自ら、その機会を放り捨てた。 「くだらん。実にくだらん! なぜ私が死なねばならない。高島など……あの男が邪魔だてしなければ。それに、笠倉のあの不肖の甥が裏切らなければ、貴様や金本は早々に死んでいたはずだ。誰も、彼も、足を引っ張り、邪魔ばかりしおって…ーーぎぁぁぁぁ!!」  先ほどまでと比べものにならぬ悲鳴が、河内の口から上がった。  どす黒い血が、地面に滴る。黒木が手にしていた小刀の先に、奇妙なものが刺さっている。  それは、抉り出された河内の眼球であった。    悲鳴を上げられないよう、黒木は用意していたボロ切れを河内の口に詰め、再び、蓮田にさるぐつわをかませさせた。手際よくやったが、二人とも手が血で汚れた。  だが、もう十分だった。この男にしゃべらせる必要はない。  ただ小脇の時と同じく、可能な限り、苦痛を長引かせて殺すことしか、考えられなかった。

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