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第25章⑭
千葉が拘束されている間にも、別の警官隊とアメリカ兵たちが洞窟の入り口へ移動している。彼らはしばらく内部の様子をうかがっていたが、やがて意を決して中に足を踏み入れた。
最初は、何も見えなかった。だが暗さに目が慣れると、彼らは嘆声をあげた。
「こいつは…信じられん」
広大な空間に、一行は思いがけず圧倒される。
そこからさらに奥へ進んでいくと、五、六機の戦闘機ーー「飛燕」が静かに、来訪者たちを見下ろす。整備に必要な機具や工具の類はきちんと手入れされた状態で、置かれていた。
探索者たちはそこで一度、引き返した。発見された「観測所」はあまりに巨大すぎて、彼らだけで残敵の有無を確かめるのは、無理だと判断された。
ソコワスキーは第二陣の一人として、洞窟内に入った。捕縛された痩せぎすの男を締め上げて、知っていることを洗いざらい吐かせたかったが、先にやるべきことがあった。
テロリストの男は言った。「人質の女がいる」ーーそれを聞いた時、ソコワスキーの脳裏に、ある人物の名前が浮かんだ。
彼女を発見したのは、アメリカ兵たちだった。兵士たちは千葉が親切にも置いておいた鍵の存在を無視し、二人がかりで強引に扉を蹴り破った。
当然のように、中にいた女は闖入者たちを見て、震えあがった。
兵士たちは、女がテロリストの仲間ではないかと疑い、ガーランド銃の銃口を向ける。その状態で「立て!」と命じる。しかし、英語がほぼ理解できない女には、にわかに伝わらない。
うずくまって小さくなる女を、兵士たちは力ずくで引っ立てようとした。
ソコワスキーがその場にたどり着いたのは、まさにその時だった。
「おい、やめろ! 銃を下ろせ!! 下ろすんだ!!」
頭ごなしの命令に、兵士たちは一瞬、邪険な目で振り返る。しかし、相手が少佐と知るや、即座に言われた通りにした。
ソコワスキーは兵士たちを押しのけ、怯える女の前に立った。身につけた着物も、手足も砂と埃をかぶり、汗の匂いが鼻をつく。汚れて、憔悴しきった女に、ソコワスキーは落ち着いた声で語りかけた。
「タミヤ・チヨ?」
女は目を見張り、荒れた唇を動かした。
「私、田宮千代です」
ソコワスキーはうなずき、手ぶりで立つように促す。千代は、今度は素直に従った。
ソコワスキーは知っている数少ない日本語を、彼女にかけた。
「ーーモーシワケナイ」
千代はソコワスキーの青灰色の目を見つめ、掠れた声で言った。
「大丈夫です。O.K.,O.K.…です」
その言葉に、ソコワスキーは少しだけ、救われた気がした。
失態が重なり、行動はことごとく後手に回り、今の深刻な事態に至った。
だが、密偵として働いてくれた女性だけは、死なすことなく無事に保護できたのである。
「彼女に水と食べ物を持ってきてくれ。あと、山を下りて休息が取れる場所へ連れて行くと伝えるように…」
日本語のできる日系二世の兵士に、ソコワスキーは指示を出す。
その最中に、数名の警官とアメリカ軍の尉官が、慌ただしく外へ向かって走っていった。何事かと、ソコワスキーはいぶかる。その直後、誰かの緊迫した声が耳に突き刺さった。
「テロリストの男が、毒を飲んだぞ!!」
ソコワスキーの顔色が変わった。千代たちをその場に残して、駆け出した。
捕まった千葉の居場所は、すぐに分かった。人の輪ができていて、その中心で手錠をかけられたままの姿で、口から泡をふいて倒れていた。まるで、下手くそな人形使いに操られたように、痩せた身体が何度も痙攣するのを、ソコワスキーは見た。
「手錠をかけられていたんだ。一体、どうやって毒を…」
「そんなことは今、どうでもいいだろう! それより、水を飲ませて吐かせろ!!」
日本人の警官やアメリカ兵たちは、千葉を死なせまいと躍起になった。無論、温情からではない。今回のことは、前例のない大事件である。事件に関与した人間に、そう簡単に死なれるわけにはいかなかった。
だが千葉は、周囲の必死の努力をむなしいものだと言わんばかりの目で見ていた。
毒薬は、満洲より逃げ戻った開拓民の女性が、千葉の実家に持ち込んだものだった。
敗戦末期、「不測の事態」に備え、自決用として配られたと聞いている。千葉はその毒をあらかじめ口に含み、追手たちに捕まった直後に飲み込んでいた。
そう。千葉は最初から、すべてが終わったら死ぬつもりでいた。
自分が捕まれば、追跡者たちをこの場に引き止める時間稼ぎになる。毒薬で倒れれば、救命のためにさらに人手が割かれる。中山たちが少しでも遠くへ逃げるために役立てればと思って、場所と機会を選んだ。
自殺に失敗し、一度は黒木に命をあずけた。そして彼の望み通り、「飛燕」を飛ばしてやった。もはや、やるべきことはやり遂げ、生き続けなければならない理由もなくなった。
いいかげん、終わりにしていいだろう。
…激痛と息苦しさの果てに、周囲の喧騒が遠ざかり静寂が来る。
千葉は目を閉じ、かすかに笑った。
こと切れた顔は穏やかで、ようやく涅槃を得た仏に似ていた。
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