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第26章①
深夜の調布飛行場に、人の不安をかき立てるサイレンが響きわたる。それが何を意味するのか、カトウは最初、理解できなかった。ただ、何がしかの異常事態ーーそれも緊急性を伴うーーが発生したのは明らかだった。
とるべき行動に迷ったのは、ほんの数秒のこと。カトウは一目散に、泊まっていた宿舎を目指して駆け出した。何を置いても優先すべきは、フェルミの身柄の確保である。この状況下でうろちょろされて、行方不明にでもなられたら、面倒なこと極まりない。
走りはじめてまもなく、カトウは反対側からやって来る人影を認めた。ローラン・アラルド中尉だった。
アラルドはベッドから出た後、ズボンと靴を履いただけで、上は下着姿のままだった。右手にシャツを、左手に懐中電灯をかかげた中尉は、こちらもカトウに気づいて近づいてきた。
「よかった! 部屋にいないから、どこに行ったかと思ったぞ」
「申し訳ありません。寝つけなくて、外を出歩いていたんです」
カトウは謝り、間髪入れずに尋ねた。
「一体、このサイレンはなんです?」
「これか? 敵機襲来を告げる空襲警報だ」
「え……!?」
絶句するカトウに、アラルドは告げた。
「悪いが、何が起きているのか、俺にもよく分からん。多分、十中八九、誤報だと思うが。とにかく、夜勤の連中に状況を聞いてくる」
言い終えるや、アラルドは駆け出す。カトウが引き止める間もなかった。
ただ一度だけ、中尉はうしろを振り向いて叫んだ。
「そっちのお仲間は、部屋のベッドの下だ。だいぶ慌てた様子だったから、戻って落ち着かせてやってくれ!!」
アラルドが言った通りの場所に、フェルミは隠れていた。床に腹ばいになり、就寝中はねとばしていた掛け布団を頭からすっぽりかぶっている。その状態で、小刻みに震えていた。
「トノーニ・ジュゼベ・ルシアーノ・フェルミ!!」
ベッドのそばにかがみ込み、カトウは長いフルネームで呼びかけた。
「そこにいたら、話がしにくい。とにかく出てきてくれ…」
「イヤだ!!」
フェルミは裏返った声で、駄々をこねる。
「ぼく、この音嫌い!! この音、嫌いだよ…何だか分からないけど、怖いんだ」
フェルミを怯えさせているサイレンは、まだ鳴り続けている。カトウは焦った。一刻も早くアラルドと再合流し、何が起こっているのかつかみたい。しかし、フェルミは頑 としてベッドの下から動こうとしなかった。
「頼むから、出てきてくれって…」
カトウが困り果てたその時。窓の外に、さっと光が横切った。
それはオートバイのヘッドライトだった。エンジンを切ると同時に、手足の長い男が颯爽と下りてくる。ヘルメットを脇に抱えた男は、まもなくカトウたちのいる部屋のドアから、顔をのぞかせた。
「ハアイ、おチビさんたち。無事かしら?」
耳障りな警報音なぞ、酒場のジュークボックスから流れる音楽くらいにしか思っていないらしい。エイモス・ウィンズロウ大尉は、カトウの姿を見つけてヒラヒラと手を振った。
「ローランの姿が見えないんだけど、どこに行ったか知らない?」
「さっき、外ですれ違いました。夜勤の職員のところに、行かれてます」
「あ、そう。ところで、おチビさん。床に這って何してるの。こんな時に掃除?」
大尉のくだらないジョークを、カトウは無視した。
「フェルミがサイレンに怯えて、ベッドの下から出てこないんです」
「あー…。そういうこと」
ウィンズロウはカトウの横でひざまずき、ベッド下をのぞき込んだ。怯えて震える掛け布団の塊を認め、大尉は明るい口調で語りかけた。
「こんばんは、絵描きの伍長さん。真夜中に大きすぎる目覚ましの音で起こして、悪かったわね。でも、そこから出てきてくれないかしら。空襲警報が鳴ったら、お客さんは防空壕に避難する決まりだから」
掛け布団がフルフルと揺れる。フェルミが首を横に振ったのだ。
「外に出るの、怖い? みんな一緒に行くから大丈夫よ」
フェルミはそれでも、出てこない。
そこでウィンズロウは、とっておきの言葉をかけた。
「もし悪いやつがここに来たら、ワタシが撃ちおとしてあげるわ。『首なし花嫁 』号が離陸するところ、見てみたくない?」
その言葉を聞いたフェルミが、初めて布団をずらして顔をのぞかせた。
「…それって、前に見せてくれたP-61?」
「そう。あなたが二時間ずっと熱い視線を向けてたイカした淑女 。飛ぶ姿は最高にクールよ」
ウィンズロウはニヤッと笑った。
「見たいでしょ?」
「…すっごく見たい」
「なら、出てきてちょうだい。ひとまずワタシとカトウ軍曹と一緒に、管制部まで行きましょう。ね?」
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