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第26章③

「黒木がなぜ、『金本勇』の名前を騙って殺人を重ねたのか。そこがずっと、解けない謎でした」  カトウはウィンズロウたちを前に語る。電話機は一時、フェルミにあずけた。対敵諜報部隊(C I C)につながったら、即交代するつもりだった。さらに窓の外では、飛行場付きの整備兵たちがサイレンを聞きつけて、夜中にも関わらず集まって来ている。そのうちの何人かは、カトウたちと同様、進行中の事態について尋ねるために、管制部に顔を見せていた。 「金本や『はなどり』隊を虐げた小脇順右、あるいは河内作治への復讐だけが目的なら。『金本勇』の名前を出したり、あたかも彼の犯行に見せかけるために、現場に『丹心歌』を書き残していく必要はない。黒木がそうしたのはーーと考えたから」  カトウは言った。 「我々アメリカ人や、今村のような日本人の目には、黒木の行いは殺人か、せいぜい個人的な復讐にしか映らない。だけど、日本に支配され、日本人より劣るものとして搾取され、苦しめられてきた朝鮮人にとっては? ーー日本の軍人、しかも地位の高い軍人を殺すことは、彼らにとって、正義にかなう行いになる。さらに日本の元首、つまりエンペラー(天皇)を殺害すれば…『金本勇』の名前は、朝鮮人たちの中に永久に刻まれるーー『英雄』として」  もっと早く気づくチャンスはあったと、カトウは後悔する。  大阪の朝鮮人街で出会った韓廷鐘の息子、韓文葵のことを思い出す。人のよさそうな青年は、皇太子を爆殺せんとして死んだ金光洙を、日本の支配に抵抗した英雄と称える一方、特攻に行き、命を落としたその弟を「ろくでもない死に方をした」と評していた。  金本と特に親しい関係にあった黒木にとって、金本の死が無価値とみなされることは、受け入れられないことだったのだろう。  …カトウの推理を聞き終えたウィンズロウは、ため息を吐いた。 「それはもはや、愛ね」とつぶやく。 「自分自身の存在を消し去ってまで、尽くそうとする。どうしようもなく献身的で、一方的でーー狂気に近い愛」  ウィンズロウは、レーダーを眺めた。画面から発せられる微量の光が、大尉の横顔に無機質な影をつくる。 「ねえ、おチビさん。黒木はエンペラー(天皇)を殺して、死ぬつもりだと思う?」 「…なんとも言えません」 「ワタシは死ぬ方に一票、投じるわ。しかも、あとから身元が割れないように、自分の亡骸を判別不能な状態にすると思う。乗っている戦闘機を墜とすことでーーそうね、エンペラーに対して特攻するくらい、やりかねないわ」  ウィンズロウは口元をつり上げる。茶色の瞳は、少しも笑っていなかった。 「黒木栄也は、アメリカ軍のパイロットから『とち狂ったトニー(マッドネス・トニー)』って呼ばれていた。B29の真上から突っ込んできて、機関銃を浴びせる命知らずの男だった。彼なら、標的の頭の上に戦闘機を正確に命中させても、全然、驚かないわ」  ウィンズロウは受話器を抱えるフェルミに、視線を転じた。 「伍長さん。ちょっと、電話を貸してくれる? 対敵諜報部隊(C I C)じゃないけど、別部門のお偉いさんにつながるか、試してみる」 「え…でも、どこに?」 「最近、月に二回くらい会ってる友達が、第八軍憲兵司令部の所属なの」  どんな類の友人か、あえて問いただす者はいなかった。 「カトウ軍曹も、顔くらいなら見たことあるんじゃないかしらーーキャドウェル大佐の部下よ。東京がこの混乱状態なら、横浜の方もおそらく同じ。多くの人が、叩き起こされてると思う。とにかく、職場と宿舎の番号にかけてみるから、電話を譲ってちょうだい」  今夜、起こったささやかな奇跡の一つは、ウィンズロウのかけた電話が、第八軍憲兵司令部にいる「友人」のところへ繋がったことだろう。いくつかの理由で焦る男に、ウィンズロウはたたみかけるように頼んだ。 「今すぐ、キャドウェル大佐を呼んで。逃亡中の黒木の件で、U機関のカトウ軍曹から緊急を要する重大な報告があるって」  おそらく、同じ部屋にいたのだろう。二分と経たぬうちに、電話口から聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「最良と言えないタイミングで電話してきたな、カトウ軍曹」  半ばやけっぱち気味に、キャドウェルは言った。すでにウィンズロウと交代していたカトウは受話器を持ったまま、反射的に頭を下げた。 「申し訳ありません、大佐。その…」 「言い訳はいらん。要点だけ言ってくれ。俺は今、現在進行形で、ややこしい事態に対処している最中なんだ」 「九州から離陸した戦闘機に、黒木が乗っています」  カトウは単刀直入に切り出した。受話器の反対側で、ウィンズロウがかがみ込んで聞き耳を立てているが、無視を決め込む。 「黒木は、東北地方に巡幸中のエンペラー(天皇)を殺害するつもりです。今すぐ、エンペラーが安全な場所に身を隠せるよう、手を打っていただけないでしょうか」  受話器の向こうから返ってきたのは、沈黙だった。  カトウは自分の話があまりに荒唐無稽すぎて、大佐の信用を失ったのかと危惧した。 「あの、キャドウェル大佐。途方もない話ですが、説明の機会を…」 「その必要はない、カトウ軍曹」  キャドウェルの声に、無念の色がにじんだことにカトウは気づいた。 「エンペラー(天皇)を避難させるのは無理だ。彼はーー巡幸先の岩手で、正体不明のテロリストたちの人質になっている」

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