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第26章⑥

「却下よ」  ウィンズロウはにべもなく言った。 「小型機で吐く人が、爆撃戦闘機に乗って無事に済むわけないでしょう? 気絶するのがオチよ」 「…気合いでなんとかします」 「精神論で切り抜けようとするのは、日本人の悪しき欠点よ。あなたは日系アメリカ人だけど」  ウィンズロウは皮肉混じりに痛いところを突いた。そのまま、話を終わらせようとする。  しかし、大尉が再び志願者を求めようとした矢先、カトウが置いてあった懐中電灯をつかんで、スイッチを入れた。  ウィンズロウが不審に思ったのも束の間ーー。 「あとで弁償します」  カトウは窓へ近づき、窓ガラスを開けた。たちまちサイレンの音が大きくなり、フェルミが怖がって両手で耳をふさぐ。その様子に、カトウは一瞬、申し訳なさそうな表情を浮かべる。  それから意を決し、夜の滑走路へ向かって、懐中電灯を放り投げた。  淡い豆電球の光が、不規則な放物線を描いて小さくなっていく。それはすぐに、上昇から落下へ転じた。  カトウは左手で、抜いた拳銃を構えた。  鳴り続ける警報を断ち切るように、ガアンと一発の銃声が響いた。  ライトが砕ける音は聞こえなかった。だが、空中で舞っていた光は、地面に届くはるか手前で、目に見えぬ人間が息を吹きかけたかのように、かき消えた。  カトウは拳銃を下ろし、一同を振り返った。 「今、俺がしたのと同じことができる人、います? いたら志願を辞退しますが」  答える者はいない。アラルド中尉が、無言でウィンズロウの方を見やる。  麦わら色の髪の大尉は、降参とばかりに両手を顔の横に上げた。 「仕方ない。言い争っている時間もないわ。カトウ軍曹に頼みましょう」  ただし、アラルドにだけ聞こえる音量の声で、ウィンズロウはつけ加えた。 「ーーさて。このおチビさんに合うサイズの飛行服が、あったらいいんだけど」  整備兵たちがP-61の離陸準備を進める間、ウィンズロウとアラルドは、カトウとフェルミを連れて倉庫へ入った。カトウが着られそうな飛行服を探すためだ。 「このまま乗ったらダメなんですか?」  カトウは自分の着ている夏用の制服を指差す。ウィンズロウは鼻で笑った。 「上空で震え上がりたかったら、そうしなさい。あなたがこれから乗る淑女(レディ)は、この前、遊覧飛行で乗った小型機や、のんびり屋の輸送機(マダム)とはわけが違うの。いいこと? 高度が百メートル上がると、気温は大体0.6度下がると言われているわ。戦闘機は多くの場合、高度二千メートルから三千メートルくらいを飛ぶし、戦闘時ともなれば、それ以上の高さに上がる。もし黒木たちが通常より高い高度で飛んでいたら、夏でも機外は余裕で氷点下よ」  ウィンズロウはさらに、P-61の操縦席と射手席には、隙間風が吹き込んでくると、教えてくれた。 「一応、ヒーターはついているけど、あんまり効きは良くないわ。そういうわけで防寒具が必須なんだけど…ローラン、どう? 軍曹が着られそうな服、あった?」 「だめだ。整備兵用のツナギなんかはあるが、搭乗員向けのものがほとんどない」  アラルド中尉は、袖の部分に穴のあいたジャケットをかかげた。 「見つかったのは、これくらいだ」 「弱ったわね。服もだけど、帽子や手袋もないと後々、困るんだけど…」  ウィンズロウはさらに奥へ進み、懐中電灯であちこち照らす。その光が床に放置されている木箱の一つを捉える。  一瞬、照らされた側面に、カトウの目がとまった。  箱には小さな紙が貼り付けられおり、漢字で「被服等」と書かれてあった。  幸い、箱のふたに釘は刺さっておらず、簡単に開けることができた。カトウがフェルミと共にふたをずらすと、すぐに下から、防虫剤のきつい匂いが立ちのぼった。 「…あったよ! 服!!」   箱をのぞき込むフェルミが、はしゃぎ声を上げた。  最初に目に飛び込んできたのは、きちんとたたまれたセーターだった。その下から、明らかに日本製と分かる毛糸の帽子や下袴、さらに飛行服や皮の手袋が現れる。  フェルミの声を聞きつけてやって来たアラルドが、箱の中身を見て口笛を鳴らした。 「驚いたな。日本軍のか?」 「そうみたいね」  ウィンズロウも、目を丸くする。 「おそらく、調布飛行場がアメリカ軍に引き渡された後も、処分されないまま、忘れ去られていたんだわ」 「見たところ、いい状態じゃないか。虫食いもない。これを着れば…」 「ローラン」  ウィンズロウがたちまち、非難の目を向けた。 「ーーそういうの、良くないわ。おチビさんは、アメリカ陸軍の人間なんだから」  日系アメリカ人の複雑な立ち位置を、ウィンズロウは彼なりに理解しているつもりだった。カトウに日本兵の格好を強いるのは、ウィンズロウの価値観において、趣味の悪い行いであった。しかし、当のカトウはあっさり言った。 「これを着ます」 「…あなた、それでいいの?」 「時間もないし、背は腹に変えられません。アラルド中尉の言うように、ほとんど傷んでいませんし。ーーそれで、どれを身につければ、上空へ行けます?」 「ええっと、待って。まずは防寒用の下着とセーターでしょ。それから…ーー」  アラルドに懐中電灯を持たせ、ウィンズロウは次々と必要なものを選び出していく。  カトウは自分の手に大きすぎないか、ためしに手袋をはめてみた。ピッタリとまではいかないが、動かすのに問題はない。手をひっくり返すと、持ち主だった人間の名札が、付けられたままになっていた。  名前を読んで、カトウは驚いた。 ーー今村和時少尉ーー 「ーーよし、こんなもんね。どう、おチビさん。手袋は?」 「…大丈夫です」  カトウは答えた。大阪で出会った灰色の青年の姿が、脳裏をかすめる。だが、すぐに気持ちを切り替えて、頭の中から追い払った。

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