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第26章⑧
ウィンズロウとカトウは、P-61の前脚を収納するハッチから、射手の座席へ上がった。アラルドは後部の別のハッチから、レーダー手席へ向かう。
前方から見ると、操縦者であるウィンズロウが最前部にいて、その少し後上方に設けられた射手席にカトウが、そして尾部にアラルドが座る形となる。
はじめて入ったP-61の内部は、思ったより広かった。カトウが平均的なアメリカ人男性より小さいせいもあるが、足は伸ばせるし、窮屈な思いをせずに済みそうだ。
それより問題は、壁や座席に取りつけられた機械類の方だった。射手席のものは一番、簡素だというが、当然、カトウが初めて見るものばかりである。うかつに触って、まずいことにならないか、不安にかられる。
しかし、床面の入り口から身体を突き出したウィンズロウは、お構いなしに言った。
「座席の左側にあるのが照準器で、胴体の二十ミリ機関砲と連動してる。使い方は飛んだあとで教えてあげるから、とりあえずシートと照準器の位置だけ調整するわよ」
「あの。離陸した後、話すのはどうやって…」
「酸素マスクの中に、マイクがはめ込んであるわよ。さっき渡したイヤーカップから、ワタシたちの指示が聞こえてくるわ。そうそう。酸素は高度が上がると自動的に供給される仕組みだけど、万一、呼吸が苦しくなってきたら、ここのバルブを自力で開くように」
ウィンズロウは白っぽい色の金具を指さしたあと、壁の一角に目を向けた。
「あと、あそこに一応、伝声管もあるわ。万一、電気系統がやられた時とか使うやつ」
そこにはラッパに似た形の金属製品が、取りつけられていた。
「近くでちょっと大きめの声を出せば、操縦席とローランがいる後部座席に伝わるわ。こちらの声も、あなたに届くから」
ウィンズロウは説明の合間に床面をつかみ、射手席に身体をすべり込ませた。余裕のあった空間が、大尉の細長い身体でたちまち狭くなる。照準器と座席の高さを合わせる間、カトウは否応なく、ウィンズロウと密着する形になった。カトウが気まずい思いをしていると承知の上で、ウィンズロウはニィッと笑った。
「安心しなさい。変な気は起こさないわよ。あなた全然、好みじゃないし。あ、でも緊張してる顔はちょっと、そそるかも」
カトウの顔が、たちまち真っ赤になる。
思いついた罵倒の台詞をぶちまけるより先に、壁の伝声管からアラルドの冷ややかな声が伝わってきた。
「その色情魔の頭を撃ち抜いて、全然かまわんぞ、カトウ軍曹。銃が暴発したことにしてやる。それにパイロットがいなくなれば、この気乗りしない超過勤務をせずに済む」
中尉の言葉に、カトウはなんとか冷静さを取り戻した。
「…素敵なご提案、ありがとうございます。でも、実行するのは戻ってきてからにしますよ。俺は黒木を撃ち落としたいので」
「ちょっと、二人がかりでワタシを暗殺する相談は、やめてちょうだい」
軽口で応じた後、ウィンズロウはほんの少し、表情を引き締めた。
「今さらだけど。降りたいなら、これが最後のチャンスよ。どうする?」
カトウは即答した。
「行きます」
「りょーかい。じゃ、せいぜい吐かないよう幸運を祈ってるわ、おチビさん」
ウィンズロウはカトウの肩を軽く叩き、操縦席へ降りていった。
前方の座席に腰を下ろすと、ウィンズロウはすぐに安全ベルトを締め、軽く十を超す計器類に目を走らせた。
すべて、問題なし。ウィンズロウは、酸素マスクをつけた。
「ローラン! そっちはどう?」
「準備完了。どの機器も、正常に作動している」
「オーケイ。タキシング・スタンバイ」
ウィンズロウは無線機のスイッチを入れた。
「『首無し花嫁 』号より、調布飛行場管制へ。離陸許可を求む。どうぞ」
ガッと音がして、すぐに返答がきた。
「こちら管制部。離陸を許可する。それから、目標の最新情報だ。午前二時二十分、琵琶湖上空を通過して、北北東へ進んでいる。次の情報は入り次第、伝える」
「了解ーーじゃあ、行ってくるわ」
ウィンズロウは操縦席の左側にある点火スイッチをひねり、スロットルを上げた。
滑走路から離れた場所で、フェルミは整備兵と共に立っている。
サイレンが止まり、一時の静寂を取り戻した飛行場に、今度は二千馬力のエンジンが奏でるデュエットが鳴り響く。
フェルミの目に映るP-61の姿は、黒い甲冑をまとう「夜の女王」そのものだった。耳をつんざく騒々しい音も、出陣の鬨の声のごとく轟いてくる。
今夜は、スケッチブックを持ってきていない。だから、フェルミは何一つ見逃さぬよう目に焼きつけた。
走りはじめたP-61は、滑走路を駆け抜け、まもなく黒鳥 のように優美に夜空へ舞い上がった。フェルミは手を振るのも忘れ、飛び去る姿が空に溶けた後も、しばらく残像を追っていた。
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