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第26章⑨
たとえ外から鳥のように軽やかに飛んだように見えたとしても、中にいる人間からすれば、話は別だ。P-61が滑走路を走り出した時、カトウは上を向くべきか下を向くべきか迷った。結局、正面を向いた状態で身体が座席に押し付けられ、うかうかしている間に、機体は地上を離れていた。
上昇する数分の間、空に浮かぶ半月が、こちらに迫ってくるようにカトウには見えた。このまま、月まで飛んでいけそうな気さえする。もっとも、いくら科学が進歩しても、人間が三十八万キロの彼方にたどり着くには、まだ数百年はかかるだろうが…。
カトウがらちもないことを考えるうちに、P-61は巡航高度に達し、水平飛行に移った。
「ハァイ、おチビさん。どう、気分は? ていうか、気絶していない?」
イヤーカップから、ウィンズロウの声が届く。カトウは酸素マスクの下から、うなるように言った。
「前に小型機に乗せられた時より、大分マシですよ」
嘘ではない。窓の外が暗い分、エンジン音さえ無視すれば、列車でトンネルを通っているのとあまり変わらない。感じる恐怖は、昼間より薄かった。
「それより、早いうちにこの機銃の使い方を教えてください」
「了解。まず、正面に照準器があるでしょう。覗き込むところの下に、ランプ・スイッチがあるから、まずそれを入れて。で、数秒待ってから照準器を見て」
カトウが言われた通りの手順を踏むと、スコープの中に、オレンジに近い色の円と十字が浮かびあがった。
「的 が見えました」
「O.K. 。照準器の右側に、握り手 と引き金があるのは分かる? それを握ると、毎分約七百五十発で弾丸が飛び出るわ。初速は大体、秒速八百メートルくらいよーー試しに一秒間だけ撃ってみて」
カトウは慎重に、握り手に手を添える。弾の無駄遣いを避けるために、握る時間は0.5秒に縮めた。
機内にいても分かるくらいの射撃音と共に、虚空に向かって、二十ミリ機関砲の弾が吸い込まれていく。そのうちの二発は曳光弾である。弾は光の軌跡を残し、的の真ん中を通って消えていった。
カトウの耳元で、再びウィンズロウの声がした。
「使えそう?」
「ええ。多分…」
カトウはそう答えたものの、正直につけ加えた。
「ただ、これだけ暗いと…黒木たちの乗る航空機を離れたところから視認するのは、難しいと思います」
「ああ、その点は心配ないわ」
ウィンズロウは言った。
「基本的な作戦は、こうよ。ワタシたちは地上の管制の助けを借りながら、搭載されたレーダーで黒木たちを探す。彼らを発見したら、暗闇にまぎれて後方へ近づいていく。十分に近づいたところで、二十ミリ機関砲と砲塔の一二.七ミリ機銃を撃ち込んで、一気にカタをつけるわ」
「接近する間に、向こうに気づかれませんか?」
「大丈夫よ。この夜の闇が、ワタシたちの姿を包み隠してくれる。昼間は数キロ離れていても見つかってしまうでしょうけど、月夜なら六百メートルを切らないと、こちらの姿は見えないと思っていい」
唯一の心配は音だと、ウィンズロウは言った。
「隊列を組んで飛んでいる戦闘機を襲うなら、気にしなくていい。エンジン音がそこらじゅうに響いていて、絶対に気づかれないから。でも、たった二機で飛んでるなら…もし黒木かもう一人が、周囲の音に気を配っていたら、淑女 のエンジン音に気づかれる可能性はある。でも、そこはもう賭けよ」
自身は暗闇に潜みつつ、コウモリのように相手を見つけられるP-61の圧倒的な優位性に、ウィンズロウは自信を持っていた。
「黒木たちを見つけたら、ワタシが後方、百メートルの位置にP-61をつける。その距離まで近づけば、シルエットや排気口から出る青白い炎が見える。それを狙って、敵に弾丸を浴びせるの。あなたがさっき見せてくれた射撃の腕なら、そう難しくないはずよ、カトウ軍曹」
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〈ーー二機の未確認機が、佐渡海峡を通過。くりかえす。二機の未確認機がーー〉
黒木は傍受した英語の通信を聞き、操縦席でほくそ笑んだ。左後方に、東がしっかりついてきているのを確認し、無線で語りかける。
「喜べ。予定通りの航路を進んでいることを、アメさんがご丁寧に教えてくれてる。ーー感謝しないとな」
ウィンズロウたちは、知らない。「観測所」に隠匿されていた「飛燕」を整備するにあたり、千葉はいくつかの改修を施していた。積まれていた無線機を、アメリカの軍用機用のものに変えたのも、そのひとつだ。二台の無線機は戦時中に日本側が鹵獲したもので、本土決戦に備えて、「観測所」に運び込まれたものだった。
黒木の通信に対する東からの返事は、モールス信号で返ってきた。
〈テ・キ・コ・ナ・イ。イ・イ・コ・ト〉
黒木は、東の指摘について少し考えた。
「観測所」から離陸して、早三時間が経過した。今のところ、順調に飛んでいる。順調すぎると言ってもいい。夜間、日本上空を飛ぶにあたり、黒木はさまざまな障害を想定していた。実際、アメリカ軍はこちらの位置を把握している。にもかかわらず、戦闘機はおろか高射砲弾の一発すら飛んできていないのには、いささか拍子抜けしていた。
だが、退屈すら漂う状況は、程なく終わりを迎えた。
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