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第26章⑮

 黒木に思いつく限りの悪口を浴びせて挑発し、その怒りをこちらに向けさせることーーそれが、カトウの作戦だった。  黒木が短気で怒りっぽい男だということは、今村の口から聞いている。自分が知恵をしぼり、苦心して実行してきた復讐劇を滅茶苦茶にされたと知れば、そして滅茶苦茶にした張本人がすぐ近くを飛んでいると知れば、激怒して撃ち墜とそうとするのではないか。それに、賭けたのである。  ただし、ウィンズロウに言ったように、うまくいく保証はなかった。カトウは元々、口達者な方ではない。二千メートル級の山々より高い場所で長く喋っていると、それだけで口も頭も回らなくなってきた。  だが、心配は無用であった。  息切れしたカトウが、呼吸を整えようと言葉を切った瞬間、ガッという雑音が耳を刺した。 〈ーー誰が負け犬だ? 死にぞこないの根暗(ねくら)唐変木(とーへんぼく)が〉  海の底に溜まった(おり)のような冷たい声。  直後、マグマに熱せられたように一気に沸点に達した。 〈命があったことに感謝して、尻尾をまいて、隠れてりゃいいものを!! のこのこと、姿を現しやがって。俺がマネキンだぁ!? ならテメェは好きこのんで焼かれにきたマヌケな蛾以下だ! テメェの方こそ、その辛気臭い(つら)に風穴開けりゃ、少しは風通しが良くなって、見てくれもマシになるかもな!!〉  カトウは呆気にとられた。こと人を罵倒する点において、黒木の方がカトウよりずっと豊かな語彙と表現力を有しているようだった。 〈ーー俺は(ナヌン)金本勇(カナモトイサミ)金蘭洙だ(キムランスイダ)〉  黒木は朝鮮語で言い放った。たとえ、それが真実でないと知られたとしても、黒木の立場ではそう言い続けるほかなかった。 〈…死ぬ前に、せいぜいみっともなく泣き喚け〉  再び日本語で、黒木は宣告した。 〈見苦しい死に顔を見られる心配はいらねぇ。どのみち墜落したら、グチャグチャにつぶれて、そのまま丸焼けだからな〉  直後、カトウの視界で、何かがチカッ、チカッと光った。  それは飛燕が旋回する際、翼に朝日が反射する光だった。 「ーー成功よ、おチビさん!」  ウィンズロウが、陽気な口調でつぶやいた。 「黒木たちが、こっちに来るわ! ねえ、後でどんな悪口を言ったか、教えてちょうだい」  言いながら、ウィンズロウは操縦桿を傾けた。  敵機の姿は、すでに見えている。ということは、向こうからも、こちらの姿が見えているということだ。  すでに、戦闘は始まっていた。  敵の背後に回り込むため、ウィンズロウはP-61の高度をあげる。その間に、同乗者たちに告げた。 「ローラン! 背中の見張りは任せたわよ」 「ラジャー!」 「それから、カトウ軍曹。射撃の方、期待してるわよ」 「イエス・サー」 「吐きたくなったら、酸素マスク外して床にしなさいよ。自分の胃の中身で窒息死するなんて、笑い話にもならないから!」  ウィンズロウが軽口をたたくのも、そこまでだった。  二機の飛燕が、陽の下に晒された「首無し花嫁(ヘッドレス・ブライド)」号をたたき落とすべく、迫ってきた。

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