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第26章⑯

 盛岡市及びその周辺地域の住民は、奇妙な音で目を覚ました。  それは複数の航空機が織りなすエンジンの音だった。上空から響きわたるバババッという重々しい音色に、ある者は寝床からはい出し、ある者は窓を開ける。  そして、夜があけたばかりの空に舞う、ジュラルミンの鳥たちを目撃した。  ほんの数週間前、クリアウォーターとアイダの尋問を受けた矢口馨(やぐちかおる)元少将は、寝巻き姿のまま、庭へ飛び出した。旅館で記事を書きあげ、仮眠を取っていた「やまと新聞」の佐野敬(さのけい)記者は、同僚にゆすり起こされ、寝ぼけ眼のまま、窓から顔を突き出した。  他にも前日、岩手県庁前に集まり、エンペラーを歓迎した老若男女たちが、空を見上げ、そこに飛び交う戦闘機の姿を認めた。    二機の旧日本陸軍機と一機のアメリカ軍機の会敵は、K牧場の敷地からも見えた。  エンペラー(天皇)を人質にして、テロリストたちが立てこもる日本家屋。その周囲を包囲する日本人警官とアメリカ軍兵士たちは、それぞれ日本語と英語で「あれを見ろ!」と叫び、同じ方向を指差した。  その直前、彼らは危険回避のため、その場で最大限、安全確保に努めるよう命じられていた。北上してきた正体不明機が、エンペラーが監禁されている屋敷めがけて自殺攻撃する可能性が、極めて高くなったからだ。しかし、退避しろとまでは言われていない。できることと言えば、せいぜい頭を守るくらいだった。  だが、接近してきていた二機の「飛燕」は突如、進行方向を北へ転換した。  そこに、全身を黒く塗ったP-61「ブラック・ウィドウ」が躍りこんできた。  まさに戦闘が始まろうとしたその時、屋敷の窓から男が一人、転がり出てきた。  エンペラーを監禁していた蓮田であった。 「テ、テロリストが現れました! 射殺するチャンスです」 「いや、待て。撃つんじゃない」  前のめりになるアメリカ軍の兵士たちを、現場の指揮官があわてて止める。  蓮田は、まったくの無防備に見えた。両手を下にしたまま、空をーー互いを撃ち墜とそうとする飛燕とP-61を、食い入るように見上げている。包囲者たちが蓮田を蜂の巣にするのは、赤子の手をひねるより容易だったろう。  しかし、蓮田を殺した場合、まだ室内にいる彼の仲間が逆上しかねない。エンペラー(天皇)の身に危険が及んでは元も子もない。うかつに撃つわけにはいかなかった。  一方、蓮田も、自らが置かれた状況を計算してーー撃たれないと思って、出てきたわけではなかった。行動は、突発的かつ衝動的なものだった。  二種類の発動機の音ーー飛燕の液冷エンジンと、それとは明らかに異なる音を聞きつけ、いてもたってもいられず、飛び出してきたのだ。 「…何やってんですか、あんたは」  声の届かぬ相手に向かって、蓮田は言った。  計画がまさに成功裡に終わろうとしていた時、邪魔が入った。もっとも、それを無視することもできた。  にもかかわらず、飛燕はーー黒木は、漆黒の双発機を食い殺すことを選んだ。  蓮田は腹が立ったものの、いかにも黒木らしい選択だと認めざるを得なかった。そして飛燕の銀翼がひるがえるにつれ、どうしようもなく興奮してきた。  綺麗だと、思った。  蓮田の生きてきた世界は、醜く、汚れたもので埋め尽くされている。その中で唯一、美しいと断言できるものがあるとすればーーそれは黒木栄也と、彼が操縦する戦闘機だけだった。 「…勝ってくださいよ」  蓮田はつぶやく。  勝って、ここに降りてきて。その銀翼で全てを包み込み、焼き尽くして終わらせてくれ。  そう祈った。

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