512 / 512
第26章⑰
「ーーてめえに、何が分かる…」
飛燕の操縦席で、黒木は吐き捨てた。カトウに投げつけられた挑発の言葉が、意外なくらい鼓膜の奥に、爪痕を残していた。
ーー人殺しの濡れ衣を着せられた金本勇だって、迷惑なんだよ!ーー
うるさい。黙れ。てめえが、蘭洙の何を知ってんだよ!!
カトウに対して、激しい殺意がたぎる。
だが、頭の別の部分は、かえって冷めて、冴えわたった。
「黒い双発機」とカトウは言っていた。日系二世の軍曹が乗り込んでいるのは、複座の戦闘機だと黒木は予想した。カトウ自身に、操縦ができるとは思っていない。日本と異なり、アメリカ軍の航空機操縦者は、もっぱら士官で構成されているからだ。
カトウではない誰かが、機体を操縦しているはずだ。
黒木は東と共に旋回し、まもなく、それを見つけた。
戦闘機にしては大きすぎる。黒く塗装された異様な機体だった。
戦中、黒木はさまざまな米軍機と交戦した。それでも、太陽の下でその機体の実物を目にするのは、初めてのことだった。
「ーーP-61!?」
夜間爆撃戦闘機。三人乗り。最新鋭の電探 を積んだ重武装の死神ーー。
戦中、陸軍航空隊に回ってきた資料が、頭をかすめる。夜間であれば、P-61はほぼ無敵の攻撃性能をもつ。
しかし、日がのぼった今、飛燕より一回り以上大きい機体は、いかにも愚鈍に見えた。
黒木は、モールス信号を使って、東に敵機発見を伝えた。先ほどのやりとりで、こちらの無線が傍受されることが明らかになった以上、無線は使えなかった。
〈ア・ズ・マ。 ミ・エ・タ・ナ。 ツ・イ・テ・コ・イ〉
〈ハ・イ〉
黒木は方向舵を踏み、機首をわずかに下げた。左へ旋回する。P-61に食らいつくために、後下方への占位をもくろんだ動きーー。
そのように、相手には見えるだろう。
だが、黒木の狙いは、別のところにあった。
腹の中では、怒りが燃えているが、冷静さは失っていない。黒木は今の戦況を、的確に把握していた。敵は現時点で、一機のみ。増援が来るとしても、東北地方の飛行場の位置を考えれば、十分から二十分の余裕はある。その間に、撃ち落とせばいい。
現状は、かつて敵味方が入り乱れて戦っていた集団戦とは違う。
P-61は黒木と東に、そして黒木と東はP-61に狙いをしぼってくる。いわば、2対1の格闘戦であり、そこでは心理戦の要素が、通常より強く勝敗に作用する。
相手の動きを予想し、こちらの狙いを読ませず、撃ち落とすのに有利な位置に相手を追いやった方が勝つーー。
黒木は風防ガラスの向こうに、目を走らせる。予期した通り、P-61は黒木たち「飛燕」の接近を認め、右方向へ旋回した。背後を取られないためだ。
「ーー来いよ。地獄に、引きずり込んでやる」
煮えたぎる殺意を嘲笑に変え、黒木は口元に刻んだ。
ともだちにシェアしよう!

