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第26章㉖

 同時刻、K農場。すべてを見届けた蓮田は、アメリカ軍と日本警察が包囲する日本家屋の中庭で、呆然と立ち尽くしていた。  だが、ほどなく白昼夢を見ているかのような足取りで、その場から歩き出した。  ガーランド銃を向けるアメリカ人兵士と、にらみをきかす日本人警官の前を、恐れも見せずに横切る。蓮田は撃たれても気にしなかっただろう。もっとも、撃つ者はいなかったが。  そうやって再び窓から、エンペラー(天皇)が監禁されている室内へ戻った。  部屋の中にいる者たちが、蓮田の帰還に気づいて一斉に視線を向ける。松岡や柴田たち、そしてエンペラー(天皇)と彼の侍従も。  口を開いた時、蓮田の唇に走る傷跡がわずかに震えた。 「ーー『羅刹女』は来ない。アメリカの野郎に、撃ち落とされた」  そのひと言で、室内の空気が固まった。   事態をまだよく飲み込めていない者。沈痛な面持ちで、じっと床を見つめる者。すすり泣く者。その中で、エンペラーだけが、表情を変えずに蓮田を見返した。  恐れるでもなく、希望にすがろうとするでもなく。その落ち着きは演技には見えず、ただただ超然としている。「現人神(あらひとがみ)」と呼ばれ、崇められてきた男の感性が、常人に測り難いことを蓮田は改めて思い知らされた。  大きく息を吐き、蓮田は人質に告げた。 「俺たちの負けだ。あなたを解放する」  その言葉に、エンペラーの背後にいた松田が軽く目を見張った。部屋のドアのそばで、柴田も信じられないという顔になる。  しかし、声に出して異を唱える者はいなかった。 「俺は、ひそかに賭けていたんだ」  独りごちるように、蓮田は言う。 「『現人神』だったあなたが勝つか、それとも俺が信じている神さまが勝つか。結果は…俺の負けだ。神でないにせよ、あなたが強運の持ち主なのは間違いない」 「…言っていることは、よくわからないが。ここから出て行って、かまわないのか?」 「そう言っている」 「ならば、行かせてもらおう」  エンペラーは慌てた様子もなく、立ち上がる。蓮田たちを警戒するそぶりも見せない。  かわりに、忠実な侍従が怯えた目をくまなく動かし、主人を守るように後ろに従う。そのままドアまであと三歩というところで、エンペラーはすっと立ち止まった。 「ーー柴田と言ったな」  入口を見張る青年に、エンペラーは声をかけた。 「私と一緒に来る気はないか。償いにもならないが、投降者として扱うよう言いつける」  予想外の言葉だった。  エンペラーはさらに、身体ごと振り返って、室内の者たちを一瞥(いちべつ)する。 「他にも、ここから私と共に出る者はいないか? 今、出ていけば少なくとも命は助かる…と思う」  柴田は困惑をあらわにして、蓮田の方を見た。だが、蓮田はあらぬ方を向いて、目を合わせようとしない。「自分で決めろ」と、その横顔は言っていた。  だから柴田は、救いの手を差し伸べようとする男に、厳しい態度で報いた。 「ーーあなたには、ついて行きません。あなたは二十年もの間、世の中に嘘をついてきた。今さら、信じるに値しない。かりに、さきほど言っていることが本当だとしても……俺の父を騙した人間から、慈悲なんて受け取りたくない」  口を引き結び、柴田はドアの前から退く。  エンペラーはもう一度だけ、部屋の中を振り返った。  彼の申し出に応える人間は、一人もいなかった。 「……残念だ。とても」  抑揚に乏しい短い言葉。だが、何がしかの感情らしきものが滲んでいた。  エンペラーは侍従と共に、監禁されていた部屋から出て行った。

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