526 / 530

エピローグ②

 クリアウォーターとウィンズロウはそれぞれのグラスに白ワインを、酒が飲めないカトウはオレンジジュースを入れて乾杯した。 「それで、赤毛さん。身体の調子はどうなの?」 「仕事場に出られるくらいには、回復したよ」  ワインでのどを潤し、クリアウォーターは答える。 「火災現場で、倒れた場所が窓の真下だったことが幸いしてね。一酸化炭素の多くは熱や煙と共に屋外に流れ出て、さほど吸わずに済んだ。火傷は、まだ引きつることがあるが」 「つらい時は、遠慮せずに休んでくださいね」  すかさず、カトウが気づかう。クリアウォーターはうなずいたものの、内心で難しいなと思った。  復帰して早々、赤毛の少佐の前には膨大かつ多岐にわたる仕事が、山のようにそびえていた。その半分以上が、黒木栄也が起こした事件に関連するものだ。  誰が名づけたか知らないが。参謀第二部(G 2)において一連の出来事ーー七月に奥多摩で小脇順右が殺されたことに端を発し、河内作治の惨殺、巣鴨での大量殺戮未遂、そしてエンペラー監禁・暗殺未遂は、「ゴースト・トニー(幽霊トニー)」事件と呼ばれるようになっていた。黒木が岩手上空で墜死し、既に一ヶ月以上が経つ。その間、参謀第二部(G 2)のW将軍が全貌解明のために投入した人員の数は、日本占領が始まって以来、最大の規模となった。  東京のみならず、大阪、九州南部、岩手といった黒木が足跡を残した場所は、軒並み調査の対象となった。にもかかわらず捜査は、はっきり言って難航していた。主謀者である黒木をはじめ、事件に関与した者の多くが死亡したか、いまだに捕まっていないからだ。  例えば、山中に隠匿されていた飛燕を整備し、飛ばすためには、戦闘機に関する知識と整備技術を持った人間ーーおそらく元整備兵たちの協力が不可欠だったはずだ。しかし、毒を飲んで自死した千葉登志男を除き、いまだ協力者の特定はできていない。  それもあって、生存者に対する尋問は徹底的で、かなり厳しいものとなっている。  最重要人物として逮捕された東智は、今も拘留されて対敵諜報部隊(C I C)による尋問が、連日行われている。だが、仲間を守るためだろう。東はほとんどの質問に対して答えることを拒否し、沈黙を守り続けている。  もとより、彼は戦中に負った傷で、話すことができない。会話による意思疎通が無理な点は、この場合、東に有利に働いた。対敵諜報部隊の要員は、苛烈な態度と暴力で東から情報を引き出そうとし、生き残りの青年は、幾度か屈して口を割りかけた。だが、いざ机の前に鉛筆と紙が置かれると、東は手を膝に置いたまま、手に取ろうとしなかった。クリアウォーターは読唇術が使える日本人を同席させることを提案しているが、適当な人物はまだ見つかっていない。  東が質問にまともに答えたのは、二人の人物について聞かれた時だけだ。「はなどり隊」の元副隊長である今村和時のこと、そして隠匿された飛行場で発見された田宮千代についてのことだ。  今村について、東は一貫して今回の事件とは無関係の人間だと、紙に書き続けた。  今村は自分の下宿で中毒を起こして倒れているところを発見され、幸い一命を取りとめたが、その後、予期していなかった不運に見舞われる。黒木が起こした事件に関与したとみなされて、退院と同時に身柄が対敵諜報部隊(C I C)に拘束されたのだ。今村は潔白を主張し続けたが、アメリカ人たちには中々、信じてもらえなかった。  結局、U機関からニイガタが出張し、大阪の対敵諜報部隊(C I C)支部と協力して調査に当たった結果、今村の話が真実であることが徐々に明らかとなり、さらに東の証言もあって、ようやく今村は解放されるに至った。しかし、その間に勤めていた建築事務所はクビになってしまった。あらゆる意味で傷ついた男は、心身を休めるため、下宿を引き払い、現在は両親の元へ身を寄せている……。

ともだちにシェアしよう!