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余話⑧
到着した先は、木々が不自然な形で失われていた。残されたものも、多くが幹の半ばから折れている。表皮には焼け焦げた跡があり、倒れたまま朽ちるにまかせていた。
中山は地図で確認する。間違いない。
今、自分が立っているまさにこの場所こそ、黒木の『飛燕』が終焉を迎えた地であった。
もっとも、ジュラルミンでできた機体の残骸は、まったくと言っていいほど、残されていなかった。証拠の隠滅を図ったGHQが、大小かまわず目につく限りの痕跡を回収し、持ち去ったからだ。
残ったのは、見落とされたわずかな破片。そして、黒木が死出の旅路に持っていった花の種子や球根だった。それらは一年の間に、飛散した黒木の骨を土壌とし、血肉から栄養を得て、この世にあるはずのない色の花をつけたらしかった。
すそ野から吹き上がってきた強風が、中山の頬を打つ。風は岩や朽木の間をすり抜け、うなり声にも似た、不気味な音を奏でる。
中山は、非業の死を遂げた黒木を弔うつもりで、やって来た。しかし、自分の行いはむしろ死者の心を逆撫でしたようだ。
ーーここから立ち去れ。今すぐ消えろ。
そう言われているように、中山は感じた。
中山が立ち尽くした、その時だった。一滴の水が、肩の上で弾けた。
ポツリポツリと降り出した雨が、木々を、岩肌を、そして赤い花々を潤しはじめた。
中山は灰色の空を見上げた。
顔を濡らす雨粒は温かく、口に流れてくると、不思議なことに潮の味と香りがした。
それは、海の水でできた慈雨であった。中山は不意に、「ああ…」と悟った。
ーー海に沈んだあのひとが、やっと天に昇って、黒木を見つけてくれたのだ。
「…金本曹長どの」
中山は天蓋を覆う雲に向かって、呼びかけた。
「どうか、彼を連れて行ってください。そして、もう二度と離さないであげて…」
中山は、古い詩の一句を吟じた。
「在天願作比翼鳥 、在地願為連理枝 (天に在りては願わくば比翼の鳥と作り、地に在りては願わくば連理の枝と為らんことを)ーーせめてお二人が、来世では結ばれますように」
中山は懐から、小さなお守りを取り出した。それは昔、金本にあげたお守りの片割れであった。
木瓜の花が彫刻され小さな球に、赤い糸が結ばれている。
中山は一度だけその表面を撫でると、腕を振りかざし、雲で覆われた空に向かって力いっぱい投じた。
また風が吹きつける。中山は思わず目を閉じる。
再び、まぶたを開けた時、お守りはいずこかへ消えていた。
雨は、長く続かなかった。雲とともに風に乗り、東の方へ。海へと去っていく。
「さようなら、金本勇曹長どの」
中山はようやく別れを言えた。引きずり続けていた片想いの恋に、苦しくも輝いていた青春の日々に、決別を告げたのであった。
……孫日登は話せることを語り終えた。今村はあいづちを打つのも忘れ、聞き終えた。
店のどこかでポーンと、時計が鳴る音がする。ほどなくして、通訳がおずおずと個室の入り口に姿を見せる。
孫は今村に向かって、微笑んだ。
「もう遅い時間です。そろそろ、お開きにしましょう」
そう言って、孫は一枚の名刺を今村に差し出した。
表には孫日登の名前と肩書きが印刷されており、裏には手書きで台南市の住所が書き付けてあった。
「蒋総統が亡くなって半年になりますが、まだ政府中央は落ち着いていません。私は、年末まで台北を離れられませんが、ふるさとの家には息子夫婦がいます。台南に行かれる機会があれば、ぜひ我が家に寄って、隣にある神廟 にも線香をあげてください」
困惑する今村に、孫は説明した。
「勝手ながら、金本曹長どのと黒木大尉どのを祀っているんです。お二人ともあの事件の後、靖国に祀られる英霊の名簿から名前を削られたと、佐野さんの本で知りましたので。それに、金本曹長どのも、黒木大尉どのも、ふるさとに墓がないそうなので…」
二人だけではない。孫はひそかに、千葉や松岡、蓮田たちの位牌も作り、同じ廟で祀っている。それが、あの事件を逃げのびた孫ができる、せめてもの償いであった。
「周りからは、『花廟』と呼ばれているんですよ。廟の周りに鉢植えを置くと、不思議とよく育って花をたくさんつけるためです。あるいは、誰かの霊威なんでしょうかね」
今村は、なんとも答えられなかった。
ただ、その廟に必ず立ち寄ろうと決意した。
毒を盛られた一件で、黒木にひと言、文句を言いたかった。
そしてーー色々なことを語りたかった。黒木だけではなく、金本にもーー。
そう思った途端、なぜか目に涙がにじんだ。
「…嫌だな。年をとると、どうにも涙もろくなる」
言い訳をしながら、今村はそれをぬぐった。
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