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第7話
「よし! 今度こそお前に勝ってやるぜ!」
「リレーだから他力本願ですね」
「絶対勝つからな!」
名前を忘れたが、夏樹の知り合いだったことは覚えている。
何故だか闘争心剥き出しの彼は、勝手にずっとひとりで話し続けている。うるさいな。
プールサイドに戻る。形だけでも、チームメイトという名の同大学の輪に入らなければならない。
引き継ぎ練習を一度もしていないんだから、リレーもまともにできるんだかどうだか。まあ、練習試合だから、お遊びか。一種の催し物と考えておこう。
フリーの百メートルのタイムを参考にチーム分けがされた。各チームが似たようなタイムとなるよう、競り合うようなバランスにしているらしい。
「ゆ、夕顔くん、よ、よろ、よろしくね!」
「僕たち、夕顔くんの足を引っ張らないようにがんばるよ!」
「が、がんばる! がんばるから!」
「……よろしくお願いします」
誰だこいつら? 顔は見たことがある。だが、名前を思い出せない。多分夏樹の知り合いだ。だいたい夏樹の知り合いだから、後で夏樹に聞けば良い。
そういえば、夏樹は何処だ? 放っててもついてくる犬のような奴なのに……いないな。
「えっと、それじゃ、夕顔くんがアンカーで良いよね?」
「嫌と言ったらどうするんですか?」
「ひぃっ!」
どうして怯えられた? 良いかどうか尋ねられたから、嫌と言ったらどうするか聞いただけなのに。
「ゆ、ゆ、夕顔くんが、泳ぎたい順番で……」
「別に。アンカーで良いです」
順番なんてどうでもいい。私は泳ぐだけだから。どうせ誰もまともな引き継ぎをできやしない。即席のチームなんだ。さっさと終わらせたい。ああ、それなら最初が良かったか。……ま、良いか。
「『別に』とか言うなら、そのままアンカー引き受けろよな」
「ちょっと速いからってさぁ――」
小声で話しているつもりのようだが、残念なことに全て聞こえている。もしかして、わざと私に聞こえるように言っているのか? 言いたいことがあるなら、言ってほしい。
「言いたいことがあるなら、直接言ってください」
「ひぃいっ!」
だから何で怯えるんだ? 私は何もしていないのに。ここで、会話の片割れが前に出てきた。
「じゃあ、言わせてもらうよ! お前さ、何でそんなに態度デカいんだよ!」
「私が何かしていたのなら謝りますが、心当たりが全く無いです」
「あー、もう! そういう態度が気に食わないんだよ!」
「は? 何を言っているのか意味がよくわからないので、もっと簡単な日本語にしていただけますか? もしくは、英語で。またはオランダ語なら助かります」
「バカにすんな!」
力任せに胸を押されて、私はプールに落ちた。何で彼は怒っているんだ? ばかにしたつもりは無い。心当たりも全く無い。
水の中は静かだ。包み込まれるような圧が心地良い。ずっと沈んでいたい。誰にも、関わりたくない。ひとりが良い。吐いた息が、泡に変わって光る。全て輝いて見える。
「小焼ー!」
ああ、夏樹の声だ。やっと来たか。プールの底を蹴って足をつける。人々の視線が私に集まる。
誰も何も言わない。突き飛ばした奴さえ何も言わない。さっきの勢いは何だったんだ。言いたいことがあるなら言ってくれ。他人の心なんてわからない。
「小焼! 大丈夫か!?」
「……右足を少し捻りましたが、大丈夫だと思います」
プールサイドに上がって踏み出した時に、右足に違和感があった。すぐ痛みはひくと思うが、彼は専属の超なんたらかんたらドクターだから、伝えておく必要がある。
「明日も痛みがあるようならレントゲン検査の予約すっから、きちんと連絡しろよ」
「わかりました」
夏樹の服がさっきと変わっている。着替えを持っていたのか? 私はベンチに座る。夏樹はすぐ右足にテーピングを施した。その様子をさっき突き飛ばしてきた奴が慌てたような表情で見ていた。目が合った瞬間にハムスターのように跳び上がっていた。だから、何でそんなに怯えるんだ?
「夏樹。あの人の名前わかりますか?」
「ん? ああ、佐藤だよ。おまえ、チームメイトの名前すら覚えてねぇのか?」
「…………」
「あー、おまえが何言いたいかはわかっけど、言ったら敵を作るだけだぞ。ほい、これで固定できたろ! どうだ? 痛むか?」
「いえ、ましになりました」
「そんじゃ、リレー頑張ってこいよ。佐藤! 小焼に悪気はねぇんだ! ごめんな!」
「い、いや、俺も突き飛ばして悪かったよ! ごめん!」
どうして夏樹が謝っているんだ? 突き飛ばしてきた相手も謝っているから、許してやるか。別に怒ってもいないが。
気を取りなおして、フリーの4×100mリレーが始まった。何がどうなろうと連帯責任だ。夏樹の知り合いが隣のレーンにいた。
「うっし! お先に失礼するぜ!」
隣は八チームある中の五番目で飛び込んでいった。
うちのチームは、と……そういえば、全てのチームがバランスよくなるように組まれてるんだったな。……こうなるのも無理はないか。右足は痛むし、本当に足を引っ張られているな……。
「小焼ー、あんまり無理すんなよー!」
「小焼ちゃーん! ファイトー!」
「ふぁいとふぁいとやのー!」
声のした方を向く。夏樹の隣に女子がいる。一人は夏樹の妹だ。で、もう一人の青いのは何だ? 誰だ?
「小焼! こっち見てねぇでプール見てくれ!」
プールを見る。ああ、行かないと。あの青いのは本当に何だ? 全く知らない奴に応援されたのか? だが、私の名字は夕顔であって矢野ではないんだが……。どこかに矢野がいるのか? それなら何故私に向かって声援を? わからないな。
前泳者の手が壁につくタイミングで飛び込む。誰かが「反応が遅い」と言った気もするが、引き継ぎの練習をしていないんだから、できるはずがない。失格になるよりは遅れたほうが良い。
どうせ、私なら、追いつける。
腕は肩から大きく回す。体は水面に対して平行に。足は軽く内股で、蹴り幅は足のサイズほど、両足の親指が軽く触れる程度の姿勢がベスト。水中では長く息を吐いて、息継ぎは短く吸う。
全て、教えられたまま。子供の時から変わらない。ずっと、変わってない。
「あー! また負けたー!」
「すごいよ夕顔くん! ビリから三着になるなんて!」
「いえ、別にすごくないです」
何がすごいかわからない。何故喜んでいるかわからない。どうして悔しがっているかわからない。
唯一わかることは――……夏樹が、嬉しそうなことだけ。
彼からタオルとドリンクを受け取り、頭を撫でてみた。夏樹はへにゃっと破顔する。無いはずの尻尾を振っているように見えた。
「なんだよ、おれの頭撫でてどうすんだ?」
「撫でやすい低さなんですよ、お前」
「低いって言うなよ!」
そういえば、背が低いこと気にしてたな。隣でふゆが口元を緩ませて両手を合わせていた。何を拝んでるんだ? あと、横のちっちゃい青いのは誰だ?
「夏樹、あの女子は?」
「ん? おれの妹のふゆだよ。忘れたか?」
「ふゆはわかりますよ。横のちっちゃい青いのです」
「その言い方は失礼過ぎねぇかな。ふゆの友達のけいちゃんだよ。演劇部で、今、次の舞台のために水泳部の資料集めてんだと」
「はあ」
見ていたら震えてふゆの背後に隠れてしまった。何で怯えられたんだ? 意味がわからないな。
「後で自己紹介してもらおうな。ほい、まずはクールダウンしてこい」
「わかりました」
タオルとドリンクを夏樹に渡して、プールに引き返す。
……そういえば、豆大福を買ってきてもらってないな。買って帰るとするか。
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