8 / 34
第8話
漫画のネタやるから! とメッセージを送って十五分後に、ふゆは来た。家から来やすいところにある大学で良かったと思う。
顔をニヤけさせる妹にだいたいのことを説明すれば、「何でヤッてないの!?」と言われた。女子高生が大声で言うセリフじゃない。
ふゆの隣で、けいちゃんが赤面してもじもじしていた。こちらは、次の舞台の脚本作業中だったらしい。ふゆと一緒にネタ出しをしていて、夏公演ということで「水泳部のアオハルモノ」とまでは決まったから資料集めを兼ねて家に遊びに来ていたとか。
アオハルって言わずに青春で良くねぇか? と女子高生に口出しするのも野暮だな。
着替えを終えてプールサイドに戻ったら、小焼がプールに落っこちた瞬間だった。
小焼をひとりにしていたら、ああいうことがたまに起きる。彼は誰にでもあんな態度だから、敵を作りやすい。味方のはずの同大学内で敵を作ってどうすんだか……。
だからかどうかはわからないが、小焼はいつも学内にいくつかあるプールではなく、昔から通っているスイミングスクールで練習している。水泳部に所属しているが、全体練習にほとんど出ていない。ひとりで黙々泳いでいる。スクールの先生とは交流をしているようだ。バイトもそこでコーチしてるらしいけど……他人に興味ないくせに、きちんと教えられるのか少し気になる。雑用してんのかな。
さて、クールダウンも、先生達のありがたーい長話も終えて、練習試合は終わった。
あ、そうだ。小焼が来る前にけいちゃんに伝えておくか。
「けいちゃん。小焼と話す時は目を見て話してやってくれ」
「う、うん。恥ずかしいけど、やってみるやの」
俯いて手遊びしたまま答えられた。うーん、無理そうだな!
タオルを頭に乗っけたままの小焼が近づいてくる。耳にはいつものようにピアスが大量についていた。おれがプレゼントしたやつだ。嬉しい。
「お待たせしました」
「ん。お疲れ、小焼」
「小焼ちゃんお疲れ様ー!」
「お疲れ様ですやの」
「私は矢野ではないです」
「はうっ!?」
小焼の声に、けいちゃんが少し跳ねた。既に俯きがちになっている。視線が彷徨ってる。大丈夫か……。
「私は夕顔です。夕顔小焼。貴女は?」
「あ、ぅ、ウチ、ウチは、巴 谷 けい、やの」
「巴谷けい矢野? 何処の国の人ですか?」
「ふ、ぇ、ぇ、ぅ、ウチ、ウチ、日本人やの」
「矢野が日本人なのはわかりました。ということは、巴谷が――……」
「小焼! けいちゃんは、巴谷けいちゃんだからな! 『やの』は口癖だから、矢野さんじゃねぇよ!」
「そうなんですか? ややこしいな……」
小焼は少し考えるような仕草をした。右足を気にしているようだ。痛むのか。ふゆとけいちゃんを家か駅に送った後で、マッサージしに小焼ん家行ってやるか。
「ねえねえお兄ちゃん、どっか寄ろうよー!」
「えー? おまえの分は、母ちゃんが夕飯作ってんだろ?」
「デザートは別腹! ここに来る途中でストロベリーデザートフェアやってるとこ見つけたの! ね、けいちゃん?」
「うん。ベリーソースケーキに、ベリータルト、ジャムにマカロン、いっぱいあったやの」
「んー……小焼はどうする?」
「スイーツ食べ放題ですか?」
「なんと! 食べ放題でーす!」
「行きます」
「おれが食うもんあっかなぁ……」
小焼はひとりでスイーツショップ巡りするくらい甘いものが好きだ。ケーキやクッキーを頻繁に食べている。この前はバナナジュースの専門店に並んだと言ってた。人混みが苦手なくせに、並ぶんだよな……。
ひとまず、ふゆの言う店をナビに登録する。ここからそんなに遠くはなさそうだ。
後部座席では女子高生が恋バナをしている。全てフィクションだ。ふゆが脳内で作った話をけいちゃんに語って、けいちゃんがその話を更に盛り上げる。ああやって脚本作ってんのかな……。わかんねぇけど。
小焼は耳にイヤホンをして目を閉じている。お疲れだな。
赤信号で止まる。タバコに火をつけたところで、小焼の目が開いた。
「げほっ! けほけほっ!」
「わ、わりぃ! わざとじゃねぇから!」
慌ててタバコを消して窓を開く。後部座席から笑い声が聞こえる。あー、また、ネタ渡しちまった。
『ストロベリースイーツフェア開催中!』と書かれたのぼりの立つ店に入る。ファミレスっぽいから、おれが食うものもありそうだ。
女子高生と男子大学生がスイーツコーナーをキラキラした目で見つめている。……小焼も女子高生か? って思うくらいに嬉しそうだ。巨乳の金髪黒ギャル女子高生か……良いな…………。
三人はスイーツ食べ放題とドリンクバーを、おれは激辛坦々麺とドリンクバーをセットにした。
ふゆとけいちゃんはスイーツを可愛らしく皿に盛ってきたんだが……。
「小焼。取り過ぎじゃねぇか?」
「食べ放題だから問題無いです」
シュークリームが山のように積み重なっている。あと、謎のパフェが錬成されていた。ドリンクバーを使って何を作ってんだこいつ!
おれが激辛坦々麺を食べている間も三人はスイーツを食べていた。女子高生は自撮りなんかもしていて可愛いんだけど、小焼だけフードファイトのようになってねぇか?
「あ、あのさ、小焼。食事のバランス考えてくれよ?」
「わかりました」
けっこうスイーツを食った後に言うことでもなかったが、気になったから声をかけてみた。
小焼はメニューを眺めている。もうサラダでも良いから、スイーツ以外を食ってくれ。見てるこっちが胃もたれしそうだ。
「焼肉定食ください。ご飯大盛りで」
少し時間をおいて、見るからに美味そうな焼肉定食が届いた。めちゃくちゃご飯大盛りだ。
「定食をご注文の方は、ライスとスープのおかわり自由ですのでどうぞご利用ください」
店員が笑いながら説明して立ち去った。
「おかわり自由か……」
まだ食う気か? 小焼が昔から大食いなのはよく知ってる。燃費が悪くねぇかなって思うくらい食う。
目の前でふゆとけいちゃんが小焼の食べっぷりに「おー!」と言いながら手を叩いていた。
で、見ている間に焼肉は消えた。小焼は茶碗を持って立ち上がる。
「おかわり貰ってきます」
「あたしもデザートおかわりー!」
「ウチもー!」
……いや、おまえら、食い過ぎじゃねぇかな? 他の客の分あんのか? 小焼が消滅させてる気がする。
小焼は山盛りのご飯を持ってきた。おかずが無いけど、どうする気だ?
「もう肉ねぇけど、飯だけ食うのか?」
「肉が無くても汁がありますよ」
なんだよその『パンがなければお菓子を食べれば良いじゃない』って理論。
「おれ、タバコ吸いに行くから、ちょっと退いてくれ」
小焼に席を立ってもらって喫煙室へ向かう。
ライスとスープのおかわり自由か。壁に貼られたポスターに『日替わりでスープを提供』と書いていたから、通りすがりに何か確認した。今日の日替わりスープは、豚汁。……うん。無限に食えそうだな。
喫煙室には誰もいなかった。気楽で良いや。タバコ吸う人は喫煙席に座るもんな。あー、煙が換気扇に吸い込まれていく。見ていて楽しい。ドーナツ、なんて、作ったところで、ふゆぐらいしか喜ばねぇな。小焼は咽せるし。
おれがタバコを一本吸っている間にも、小焼が再びおかわりに来ていた。……あれ、三杯目だよな? 量が増えてねぇか? 遠くから見てもわかる量の多さだ。席に戻る。アニメのような飯が盛られていた。とても三杯目には見えない。
「タバコのにおいがする……」
「そりゃタバコ吸ってきたからな。わりぃな」
「別に、夏樹のタバコのにおいは嫌いじゃないです」
この言葉にふゆがニヤニヤしている。手を合わせて拝んでいる。はいはい、ネタ提供感謝な。
けいちゃんは隣で小動物のように頬袋を作って、もきゅもきゅ食べていた。なんだか可愛いな。
「あたし、もうお腹いっぱい! ごちそうさまー!」
「ごちそうさまでしたやの」
「まだ食べて良いですか?」
「まだ食うのかよ!?」
小焼が席を立った瞬間。奥から、めちゃくちゃ長いコック帽の人が出てきた。コック帽が長ければ長いほど、上の位の人なら、かなり上層部の人じゃねぇか。
「すみませんがお客様、おかわりはご遠慮ください」
「何故ですか?」
「誠に申し訳ないのですが、他のお客様の分が無くなってしまいますので……」
というわけで、小焼はおかわりできなくて少し不機嫌なまま助手席に座っている。
「回数制限があるなら自由ではないでしょうが」
「あー、そりゃそうだけどさぁ……、向こうもそんなに食うと思ってなかったんだよ」
「三回までならそう書いておけば良い」
小焼は食べ物のことになるとよく喋る。後部座席の二人は……ふゆは寝ていた。けいちゃんはスマホで何か打ってるな。ネタまとめかな?
「あ、そうだ。小焼、後ろの二人を送り届けたら、家に行くから、準備しといてくれ」
「何の準備ですか? セッ――」
「あー! 違う! 足を診るから! マッサージ用のマットあったろ? あれ!」
「ああ、わかりました」
急にセックスとか言うなよ! ふゆが寝てて良かった。けいちゃん赤面してっけど。
「夏樹。ここで良いです。日課のジョギングをしたいので降ろしてください。あと、豆大福を買いたい」
「まだ食うのかよ。わかった」
車を停めて、小焼を降ろす。彼は空を見てから、こっちを見た。
「今夜は月が綺麗ですね」
「あはは、団子も食いたいってか?」
「……ええ。では、また後で」
「おう。後でな!」
車を走らせる。バックミラーで小焼を見たら、屈伸をしていた。走る気満々だな。足大丈夫かな。
「な、夏樹くん……あの……」
けいちゃんの顔はさっきより赤い。熱あるんじゃねぇか? こっちも心配になる。
深呼吸をしてからけいちゃんは口を開いた。
「今日は、新月やから、月は見えへんの……」
「えっ、そんじゃあ、あいつ、何を見て綺麗って言ったんだ!? プールに落ちた時に頭も打ったのか? 網膜になんか異常が?」
「えっと、そうやなくて、『月が綺麗ですね』は……」
「それって、『愛してる!』じゃん!」
「うわっ!? 驚かすなよ!」
ふゆが急に起きて大声で叫んだから耳が少し痛かった。興奮した様子だけど、何で「月が綺麗ですね」がそんな意味に?
「一昨日の日本文学の授業で先生が言ってたよ! ある文豪が『I love you』の和訳を『月が綺麗ですね』にしたって!」
「ん、んー? なんかよくわかんねぇけど、小焼がそれ知ってっかな?」
信号待ちなのでタバコを咥える。けいちゃんはおれがタバコを吸っても大丈夫そうだ。吐き出す煙が窓から出ていく。
「夕顔くんが読書好きなら知ってるかもやの……。授業でも、定番やと思うの」
「あたし、小焼ちゃんに日本文学のレポート手伝ってもらったことあるよ! お兄ちゃんに手伝ってもらおうとしたら、お兄ちゃんが分野外でわからないからって、小焼ちゃんに投げたし」
「そんなこと、あったな……」
じゃあ、あいつ、意味をわかってて言ったのか? おれに通じないってことはわかってなさそうなのに。いや、だからか? わからないとわかって? ああもう! ややこしいな!
「けいちゃん! それ、返事としては何が正しいんだ!?」
「た、正しいかはわからへんけど……『月はずっと綺麗』とか『あなたと見るから綺麗』とか『今日は肌寒い』とか……」
「あたしのオススメは、『死んでも良い』だよ!」
「よくわかんねぇけど、わかった。けいちゃん、ありがとな」
「あたしにもお礼言ってよー!」
「おまえはネタにするから嫌だ」
小焼がそういう意味で言ったかはわかんねぇけど、後で返してみるか。
団子も食いたいって返したのすっげー恥ずかしくなってきた!
けいちゃんを駅に、ふゆと車を家に置いて、小焼の家へ向かって歩く。ちょうどいい頃合い着くはずだ。
空を仰ぐ。どこにも月は見えない。
ともだちにシェアしよう!