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第8話

 漫画のネタやるから! とメッセージを送って十五分後に、ふゆは来た。家から来やすいところにある大学で良かったと思う。  顔をニヤけさせる妹にだいたいのことを説明すれば、「何でヤッてないの!?」と言われた。女子高生が大声で言うセリフじゃない。  ふゆの隣で、けいちゃんが赤面してもじもじしていた。こちらは、次の舞台の脚本作業中だったらしい。ふゆと一緒にネタ出しをしていて、夏公演ということで「水泳部のアオハルモノ」とまでは決まったから資料集めを兼ねて家に遊びに来ていたとか。  アオハルって言わずに青春で良くねぇか? と女子高生に口出しするのも野暮だな。  着替えを終えてプールサイドに戻ったら、小焼がプールに落っこちた瞬間だった。  小焼をひとりにしていたら、ああいうことがたまに起きる。彼は誰にでもあんな態度だから、敵を作りやすい。味方のはずの同大学内で敵を作ってどうすんだか……。  だからかどうかはわからないが、小焼はいつも学内にいくつかあるプールではなく、昔から通っているスイミングスクールで練習している。水泳部に所属しているが、全体練習にほとんど出ていない。ひとりで黙々泳いでいる。スクールの先生とは交流をしているようだ。バイトもそこでコーチしてるらしいけど……他人に興味ないくせに、きちんと教えられるのか少し気になる。雑用してんのかな。  さて、クールダウンも、先生達のありがたーい長話も終えて、練習試合は終わった。  あ、そうだ。小焼が来る前にけいちゃんに伝えておくか。 「けいちゃん。小焼と話す時は目を見て話してやってくれ」 「う、うん。恥ずかしいけど、やってみるやの」  俯いて手遊びしたまま答えられた。うーん、無理そうだな!  タオルを頭に乗っけたままの小焼が近づいてくる。耳にはいつものようにピアスが大量についていた。おれがプレゼントしたやつだ。嬉しい。 「お待たせしました」 「ん。お疲れ、小焼」 「小焼ちゃんお疲れ様ー!」 「お疲れ様ですやの」 「私は矢野ではないです」 「はうっ!?」  小焼の声に、けいちゃんが少し跳ねた。既に俯きがちになっている。視線が彷徨ってる。大丈夫か……。 「私は夕顔です。夕顔小焼。貴女は?」 「あ、ぅ、ウチ、ウチは、(ともえ)()けい、やの」 「巴谷けい矢野? 何処の国の人ですか?」 「ふ、ぇ、ぇ、ぅ、ウチ、ウチ、日本人やの」 「矢野が日本人なのはわかりました。ということは、巴谷が――……」 「小焼! けいちゃんは、巴谷けいちゃんだからな! 『やの』は口癖だから、矢野さんじゃねぇよ!」 「そうなんですか? ややこしいな……」  小焼は少し考えるような仕草をした。右足を気にしているようだ。痛むのか。ふゆとけいちゃんを家か駅に送った後で、マッサージしに小焼ん家行ってやるか。 「ねえねえお兄ちゃん、どっか寄ろうよー!」 「えー? おまえの分は、母ちゃんが夕飯作ってんだろ?」 「デザートは別腹! ここに来る途中でストロベリーデザートフェアやってるとこ見つけたの! ね、けいちゃん?」 「うん。ベリーソースケーキに、ベリータルト、ジャムにマカロン、いっぱいあったやの」 「んー……小焼はどうする?」 「スイーツ食べ放題ですか?」 「なんと! 食べ放題でーす!」 「行きます」 「おれが食うもんあっかなぁ……」  小焼はひとりでスイーツショップ巡りするくらい甘いものが好きだ。ケーキやクッキーを頻繁に食べている。この前はバナナジュースの専門店に並んだと言ってた。人混みが苦手なくせに、並ぶんだよな……。  ひとまず、ふゆの言う店をナビに登録する。ここからそんなに遠くはなさそうだ。 後部座席では女子高生が恋バナをしている。全てフィクションだ。ふゆが脳内で作った話をけいちゃんに語って、けいちゃんがその話を更に盛り上げる。ああやって脚本作ってんのかな……。わかんねぇけど。  小焼は耳にイヤホンをして目を閉じている。お疲れだな。  赤信号で止まる。タバコに火をつけたところで、小焼の目が開いた。 「げほっ! けほけほっ!」 「わ、わりぃ! わざとじゃねぇから!」  慌ててタバコを消して窓を開く。後部座席から笑い声が聞こえる。あー、また、ネタ渡しちまった。  『ストロベリースイーツフェア開催中!』と書かれたのぼりの立つ店に入る。ファミレスっぽいから、おれが食うものもありそうだ。  女子高生と男子大学生がスイーツコーナーをキラキラした目で見つめている。……小焼も女子高生か? って思うくらいに嬉しそうだ。巨乳の金髪黒ギャル女子高生か……良いな…………。  三人はスイーツ食べ放題とドリンクバーを、おれは激辛坦々麺とドリンクバーをセットにした。  ふゆとけいちゃんはスイーツを可愛らしく皿に盛ってきたんだが……。 「小焼。取り過ぎじゃねぇか?」 「食べ放題だから問題無いです」  シュークリームが山のように積み重なっている。あと、謎のパフェが錬成されていた。ドリンクバーを使って何を作ってんだこいつ!  おれが激辛坦々麺を食べている間も三人はスイーツを食べていた。女子高生は自撮りなんかもしていて可愛いんだけど、小焼だけフードファイトのようになってねぇか? 「あ、あのさ、小焼。食事のバランス考えてくれよ?」 「わかりました」  けっこうスイーツを食った後に言うことでもなかったが、気になったから声をかけてみた。  小焼はメニューを眺めている。もうサラダでも良いから、スイーツ以外を食ってくれ。見てるこっちが胃もたれしそうだ。 「焼肉定食ください。ご飯大盛りで」 少し時間をおいて、見るからに美味そうな焼肉定食が届いた。めちゃくちゃご飯大盛りだ。 「定食をご注文の方は、ライスとスープのおかわり自由ですのでどうぞご利用ください」  店員が笑いながら説明して立ち去った。 「おかわり自由か……」  まだ食う気か? 小焼が昔から大食いなのはよく知ってる。燃費が悪くねぇかなって思うくらい食う。  目の前でふゆとけいちゃんが小焼の食べっぷりに「おー!」と言いながら手を叩いていた。  で、見ている間に焼肉は消えた。小焼は茶碗を持って立ち上がる。 「おかわり貰ってきます」 「あたしもデザートおかわりー!」 「ウチもー!」  ……いや、おまえら、食い過ぎじゃねぇかな? 他の客の分あんのか? 小焼が消滅させてる気がする。  小焼は山盛りのご飯を持ってきた。おかずが無いけど、どうする気だ? 「もう肉ねぇけど、飯だけ食うのか?」 「肉が無くても汁がありますよ」  なんだよその『パンがなければお菓子を食べれば良いじゃない』って理論。 「おれ、タバコ吸いに行くから、ちょっと退いてくれ」  小焼に席を立ってもらって喫煙室へ向かう。 ライスとスープのおかわり自由か。壁に貼られたポスターに『日替わりでスープを提供』と書いていたから、通りすがりに何か確認した。今日の日替わりスープは、豚汁。……うん。無限に食えそうだな。  喫煙室には誰もいなかった。気楽で良いや。タバコ吸う人は喫煙席に座るもんな。あー、煙が換気扇に吸い込まれていく。見ていて楽しい。ドーナツ、なんて、作ったところで、ふゆぐらいしか喜ばねぇな。小焼は咽せるし。  おれがタバコを一本吸っている間にも、小焼が再びおかわりに来ていた。……あれ、三杯目だよな? 量が増えてねぇか? 遠くから見てもわかる量の多さだ。席に戻る。アニメのような飯が盛られていた。とても三杯目には見えない。 「タバコのにおいがする……」 「そりゃタバコ吸ってきたからな。わりぃな」 「別に、夏樹のタバコのにおいは嫌いじゃないです」  この言葉にふゆがニヤニヤしている。手を合わせて拝んでいる。はいはい、ネタ提供感謝な。  けいちゃんは隣で小動物のように頬袋を作って、もきゅもきゅ食べていた。なんだか可愛いな。 「あたし、もうお腹いっぱい! ごちそうさまー!」 「ごちそうさまでしたやの」 「まだ食べて良いですか?」 「まだ食うのかよ!?」  小焼が席を立った瞬間。奥から、めちゃくちゃ長いコック帽の人が出てきた。コック帽が長ければ長いほど、上の位の人なら、かなり上層部の人じゃねぇか。 「すみませんがお客様、おかわりはご遠慮ください」 「何故ですか?」 「誠に申し訳ないのですが、他のお客様の分が無くなってしまいますので……」  というわけで、小焼はおかわりできなくて少し不機嫌なまま助手席に座っている。 「回数制限があるなら自由ではないでしょうが」 「あー、そりゃそうだけどさぁ……、向こうもそんなに食うと思ってなかったんだよ」 「三回までならそう書いておけば良い」  小焼は食べ物のことになるとよく喋る。後部座席の二人は……ふゆは寝ていた。けいちゃんはスマホで何か打ってるな。ネタまとめかな? 「あ、そうだ。小焼、後ろの二人を送り届けたら、家に行くから、準備しといてくれ」 「何の準備ですか? セッ――」 「あー! 違う! 足を診るから! マッサージ用のマットあったろ? あれ!」 「ああ、わかりました」  急にセックスとか言うなよ! ふゆが寝てて良かった。けいちゃん赤面してっけど。 「夏樹。ここで良いです。日課のジョギングをしたいので降ろしてください。あと、豆大福を買いたい」 「まだ食うのかよ。わかった」  車を停めて、小焼を降ろす。彼は空を見てから、こっちを見た。 「今夜は月が綺麗ですね」 「あはは、団子も食いたいってか?」 「……ええ。では、また後で」 「おう。後でな!」  車を走らせる。バックミラーで小焼を見たら、屈伸をしていた。走る気満々だな。足大丈夫かな。 「な、夏樹くん……あの……」  けいちゃんの顔はさっきより赤い。熱あるんじゃねぇか? こっちも心配になる。  深呼吸をしてからけいちゃんは口を開いた。 「今日は、新月やから、月は見えへんの……」 「えっ、そんじゃあ、あいつ、何を見て綺麗って言ったんだ!? プールに落ちた時に頭も打ったのか? 網膜になんか異常が?」 「えっと、そうやなくて、『月が綺麗ですね』は……」 「それって、『愛してる!』じゃん!」 「うわっ!? 驚かすなよ!」  ふゆが急に起きて大声で叫んだから耳が少し痛かった。興奮した様子だけど、何で「月が綺麗ですね」がそんな意味に? 「一昨日の日本文学の授業で先生が言ってたよ! ある文豪が『I love you』の和訳を『月が綺麗ですね』にしたって!」 「ん、んー? なんかよくわかんねぇけど、小焼がそれ知ってっかな?」  信号待ちなのでタバコを咥える。けいちゃんはおれがタバコを吸っても大丈夫そうだ。吐き出す煙が窓から出ていく。 「夕顔くんが読書好きなら知ってるかもやの……。授業でも、定番やと思うの」 「あたし、小焼ちゃんに日本文学のレポート手伝ってもらったことあるよ! お兄ちゃんに手伝ってもらおうとしたら、お兄ちゃんが分野外でわからないからって、小焼ちゃんに投げたし」 「そんなこと、あったな……」  じゃあ、あいつ、意味をわかってて言ったのか? おれに通じないってことはわかってなさそうなのに。いや、だからか? わからないとわかって? ああもう! ややこしいな! 「けいちゃん! それ、返事としては何が正しいんだ!?」 「た、正しいかはわからへんけど……『月はずっと綺麗』とか『あなたと見るから綺麗』とか『今日は肌寒い』とか……」 「あたしのオススメは、『死んでも良い』だよ!」 「よくわかんねぇけど、わかった。けいちゃん、ありがとな」 「あたしにもお礼言ってよー!」 「おまえはネタにするから嫌だ」  小焼がそういう意味で言ったかはわかんねぇけど、後で返してみるか。 団子も食いたいって返したのすっげー恥ずかしくなってきた!  けいちゃんを駅に、ふゆと車を家に置いて、小焼の家へ向かって歩く。ちょうどいい頃合い着くはずだ。  空を仰ぐ。どこにも月は見えない。

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