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第13話
夏樹と初めてヤッた日から、三日経った。
右足が痛いのは捻挫だから仕方ない。日課の朝夕のジョギングもお休み中だ。その代わりに、普段ならバイク通学のところを、自転車と電車通学に変えた。走るには痛みがあるが、歩くのはましだから、少しでも動いておきたい。満員電車は苦手だが仕方ない。座れたところでスマホを見る。夏樹からメッセージが届いていた。
「渡したいものがあるから、ゼミ室に来てくれ!」
犬が頭を下げた『おねがい』スタンプも送られている。スタンプを返しておいた。
新学期が始まったばかりなので、真新しい制服の学生と新入社員だかわからないが、ビシッ、とキメたスーツの軍団がいる。ヨレヨレのスーツの中年男性が女子高生に視線を向けていた。
そういえば、エロ動画が春の期間限定セール中だった。女子高生の陵辱 モノもあったような気がする。……今思い出すものでもなかったが、後でチェックして、カートに入れておこう。
大学の最寄り駅に着いた。近くに美容専門学校があるからか、派手な服装が多い。これまた近くに高校も数校あるので、高校生の姿も見える。人の波が押しては引いていく。人酔いする前に出ないと。
階段を降りる。途中の踊り場でうさぎを見つけた。パスケースだ。人の波にさらわれて落としたんだと思う。少し汚れているが、中身は無事だろうか? 持ち主の連絡先がわかるかもしれない。中のカードを見るが、ステッカーできっちり個人情報を隠していた。
このパスケースは、確か、Alice Trip というロリータブランドのものだ。通称、アリトリ。うちの母がデザイン依頼をされたことがあるので覚えている。
ブランドコンセプトは、アリスが持っている鍵を魔法の扉にさせば、色んな世界へ旅行できる。どんな世界でも個性を出していけるように――だったか。ロリータファッションのブランドとしては古く、映画か何かでロリータやパンク系ファッションが流行する前から人気が続いている。
で、これは冬季限定ノベルティのはずだから、もうショップでは手に入らないはずだ。母ならサンプルを持っていそうだが……。とりあえず、駅員に届けるか。
改札口へ向かう途中で、辺りを見回しているちっちゃい影を見つけた。……名前は、矢野だったか? いや、違ったような? 記憶を辿る。そういえば、彼女のカバンにこれがついていたような……?
「あの、すみません」
「は、は、はい!」
背後から話しかけたからか、彼女はカバンを落としかけていた。驚かせてしまったようだ。
「アリトリのうさぎのパスケース、落としませんでしたか?」
「あ! ウチの……! ありがとうございますやの!」
彼女は頭をぺこぺこ下げながらパスケースを受け取って、中身の確認をしていた。ノベルティだから、パーツが外れていないかも気になったんだと思う。
「では、私はこれで」
「ま、待って! え、えっと、その……ウ、ウチ、何かお礼を、したい、の」
「お礼なんて良いです。たまたま目についただけですので」
「で、でも、こんなに、人がいっぱいおるのに、パスケースを拾って、ウチを見つけて、くれたから……」
この子の名前は何だったか……? 夏樹かふゆがいたらわかるんだが……、どうするか。ああ、そうだ。
「……それなら――連絡先を教えてください」
「ふぇっ! は、はい!」
連絡先を教えてもらう。プロフィールページに『けい』としか書いていない。夏樹が「けいちゃん」と呼んでいたことを思い出したが、名字は何だ?
「けい?」
「は、はい! ウチ、巴谷けいって言うの……。あの、夕顔くん。ウチ、少し前に、お会いしてるやの」
「矢野が頭から離れないんですが、本当に名字は矢野ではないんですね?」
「う、うん。矢野ではないやの。ごめんなさい!」
「謝られても困るんですが」
水饅頭のように綺麗に透き通った天 色の目に涙が浮かんでいる。何で半泣きなんだ? 私が悪いのか? 何も思い当たる節が無い。右腕の時計を見る。夏樹が待っているはずだから、早くゼミ室に行かないと。この子も、遅刻するんじゃないか?
「後程連絡します」
「は、はいやの……」
また後で連絡しよう。忘れていなければ。
大学に着き、夏樹のいるゼミ室に向かう。あいつは院生だから、同じキャンパスでも棟が違うし、学部も違う。彼は理系だが、私はどちらかというと文系になる。体育会系というのが正しいのかもしれない、まあ、そのあたりはどうでも良いか。
「おはようございます」
挨拶をしつつ、スポーツ医学ゼミ室を訪ねる。白衣を着た夏樹がパソコンの前で寝ていた。
人を呼んでおいて寝ているって……!
「あ、夕顔おはよー! 夏樹さぁ、さっきレポート仕上がって力尽きたんだよー」
「はぁ……」
そういえば、ヤッた次の日の朝。私が腰やら尻やらが妙な感覚でほとんど動けない間に、「明後日提出のレポート忘れてた!」と騒いでいた。
泳ぎを見に来ないと思っていたが、レポートに必死だったのか。ゼミ室にこもって徹夜で仕上げたのか彼の横にカフェイン系のドリンクや缶コーヒーが並んでいる。
「それなら、起こすのも悪いですね」
「夕顔に渡したいのはこれだよ。力尽きる前に言ってたから。はい」
「どうも、ありがとうございます」
夏樹のゼミ仲間から荷物を預かる。中にはテクニカルパドルが入っていた。それとメモ。練習メニューが記されている。眠気と戦いながら書いたのか、ミミズが這ったような文字だ。
『足を痛めているから、しばらくはテクニカルパドルを使ってのストローク練習。主にプルの強化。手首の動きも含めた技術の向上。前腕とのつながりを意識すること!』と書かれている。
それと最後に小さく『頑張ってレポート終わらせるから、ご褒美が欲しい』と書かれていた。
レポートを頑張るもなにも、それは学生の義務だ。とりあえず、寝ている夏樹の頭を撫でておく。口がむにゃむにゃ動いた。「小焼ぇ好きぃ……」と言っている。……頭、大丈夫か? こいつ。
「ほんっと、夏樹って夕顔のこと好きだよなぁ」
「ですね。セックスしたいと言うくらいには」
「えっ⁉」
何かまずいことを言ったか? 夏樹のゼミ仲間は引き攣(つ)った顔をしながら数歩後ずさる。
「うわぁ、俺もそういう目で見られてんのかなぁ……。ないわー……」
よくわからないが、不愉快なことはわかる。夏樹は単純に私のことが好きなだけ。
それなのに、何でひかれたんだ? もう関わりたくない。関わる必要もない。
用事が終わったから、出よう。ゼミ室を出る。
スマホが震えたので確認した。母からメッセージが入っていた。
Dear Ko
How are you I am well .
I've designed an outfit that will suit NachuCan you check it for me?
I've been so busy lately that I haven't even had sex with my darling.
Please send me some Japanese sweets again .I will be waiting for your reply then.
From Mam
添付ファイルを開く。母にしては珍しくパーカーのデザインだ。フードに犬耳、腰に尻尾がついている。仮称はLupus familiAlice シリーズ。パーカー以外にラップスカートとハーフパンツ、チョーカー、ハーネスがある。腕のレースアップ部分が華奢さを引き出してくれそうだ。長めの裾でヒップが気になる人にも着やすく、スカートやパンツにもインしやすい。夏樹によく似合いそうだ。適当な返事をし、スマホをポケットに入れる。
さて、講義は二コマ目からだから、プールに行くか。今の時間なら、ひとりで泳げるはずだ。
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