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第17話
エクスカリバーのシーンで腹筋が攣ったが、イギリス文学史の講義は無事に終わった。
腹が空いたな……。夏樹に渡す予定の菓子をひとつ、口に放り込む。辛い。痛い。なんだこれ、唐辛子そのままじゃないか? 素揚げにした唐辛子を菓子にするな!
こちらを見て、何か言っているが気にしない。気にしてられない。近寄らないでくれ。そのほうが楽だ。関わらなきゃ良い。気に食わないなら、近寄らなきゃ良い。無関心でいてくれ。嫌いになるより無関心でいてくれ。歩み寄らないで良い。「ひとりでさみしいだろうから」なんて安っぽい言葉も偽善も必要無い。ひとりで良い。さみしくない。
――夏樹がいたら、さみしくない。
目の前を動物行動学の教授が通り過ぎて行った。動物行動学なら……犬もわかるか?
「先生、犬の散歩にオススメのリードをご存知ではないですか? できるだけ自由に遊ばせられるようなものが良いんですが」
「ああ! それなら――」
教授からオススメの首輪とリードを教えてもらえたので、カートに放り込んで注文した。明日には届くはずだ。……夏樹に好きな色を聞いてからでも良かったな? まあ、良いか。あいつなら、私が選んだものを受け取る。きっと。
スポーツ医学ゼミのドアをノックし、返事を聞いてから開く。夏樹とそのゼミ仲間の二人が部屋にいた。
「ナイスタイミングだな。ちょうどバイトで使う資料作り終えたとこだ!」
「そりゃ良かったですね」
「おう。慎吾、おれ、小焼と昼メシ行ってくるから」
「お幸せに!」
「お、おう……。ありがとな……」
何故か祝福されたな?
夏樹と共に校内を歩く。先ほどより見られている気がする。私と夏樹が一緒にいるのは、珍しくもないはずなんだが……、夏樹のジャージがブカブカだからか? それなら、ちっちゃいのがビックサイズの服を着たら可愛いものだから、仕方ないな。
「小焼は、何食う?」
「夏樹は何食べたいですか?」
「おっ! おれに食いたいもの聞いてくれるなんて珍しい! そうだなぁ……、オムライス! オムライス食いたい! エビフライついてるやつ!」
「お子様ランチですか?」
「ちげぇよ! あー、でも、ゼリーも食べたいな。ぷるっぷるの、ぶどうのやつ!」
「じゃあ、向こうの洋風食堂ですね」
「小焼は洋風で良いのか?」
「美味しい飯がたらふく食えたら何でも良い」
「相変わらずだなぁ」
頭の後ろで腕を組んで、夏樹は人懐こい笑みを浮かべていた。いつも笑っているような気がする。どうしていつも笑っているんだろうか。おかしいことは何も無いってのに。
「夏樹って、いつも笑ってますよね」
「ん? いつもってわけでもねぇけど、だいたい笑ってっかな。笑う門には福来るって言うしな! あと、おれは医者だからさ。患者を診るのに不安そうな顔してたら、患者も不安になるだろ?」
「お前は病院に勤務してないですけどね」
「あはは、それを言ったらおしまいだろ! まっ、笑ってたら相手も笑ってくれっし、嫌なこともそんなに気にならねぇよ。あくまで、個人の感想だけどな!」
ずっと笑っている……。疲れないのか? こんなに笑えることが少し羨ましくなるが……疲れそうだ。それより腹が空いた。早く何か食べたい。腹を撫でつつ歩く。
飲食店はキャンパス内に多く存在する。調理実習で作ったものを提供する給食や、どこかの一流シェフ監修の店だとか、ジャンルは様々だ。
今日は夏樹がオムライス――もといお子様ランチを食べたいと言うので、洋風食堂に来た。空席に荷物を置き、貴重品だけを持って食券を買いに行く。
「オムライスーララライスーふわふわオムライスーオムオムライスー」
「変な歌を作らないでください」
「え? 小焼、この歌知らないのか⁉ 遅れてるぞ!」
「知らないですよ。誰の歌ですか?」
「おれだ! 今作った!」
「……知るか」
「いだっ! 叩くことないだろー!」
こいつ、たまにすごくばかだと思う。医師免許を取得しているくらいだから、地頭は悪くないはずだ。ついでに栄養士免許も持っているらしい。それは必修科目をおさえていれば取得できるんだが……、医師免許は国家資格だから、夏樹はけっこう頭が良いはずだ。何を教えているかは忘れたが、塾講師のバイトをしているし、保護者の評判はけっこう良いらしい。ふゆが言っていた。
で、夏樹がオムライスのソースの種類に悩んでいる間に、私は北欧風シチューハンバーグ定食を頼んでおいた。北欧風の意味は何かわからないが、ハンバーグの入ったビーフシチューってことか?
定食なので、サラダ、味噌汁、ごはんがセットだ。ごはんを大盛りにしてもらった。おかわりするなら、ごはんのみの食券を買ってくる必要があるようだ。それは少し面倒臭い。
全てトレイに乗ったところで、席へ戻る。夏樹はけっきょくケチャップソースにしたらしい。「おばちゃんにハートを描いてもらった!」と言いながら来た。……ハートぐらいなら、私も描けるが?
「いっただきまーす!」
「いただきます」
両手を合わせてから、スプーンを持つ。ハンバーグには、クタクタに柔らかく煮込まれたほうれん草が添えられている。いや、シチューの具か。付け合わせは……ブロッコリーと……これはジャーマンポテトだろうか。
とりあえず、ほうれん草を口にする。独特の苦味と甘味がシチューとよく合っている。このシチューは酸味が強めだ。トマトの味がよくきいている。それがまた甘味を引き出していて、バランスが良い。
分厚くて存在感のあるハンバーグにスプーンを入れる。予想外にふかふかしていた。肉汁が溢れ出す。脂っこそうだな……。口に含む。存外に後味がさっぱりしていた。肉汁が溢れ出すほどジューシーだが、脂のしつこさはなく、さっぱりしている。きっとトマトの酸味が後味を軽くしていると思う。噛み締める度に旨味と甘味を感じられる。玉ねぎの甘味と胡椒の塩辛さが良い塩梅 だ。美味いな。学食でこれは良い。ごはんがよく進む。……おかわりの食券を買いに行くのが面倒臭いが、もっと食べたい。ソースをごはんにかけるだけでも二杯ぐらい食べられそうだ。
「小焼。ハンバーグ一口くれ!」
「それなら、ごはん買ってきてください」
「あー、おかわりな。わかったよ。大盛りだよな? 二杯分買っとくか?」
「お願いします」
「あいあい。行ってくる。デザート食べよっと! ゼリー、ゼリー、ぷるぷるゼリー」
「何だあの歌……?」
既にオムライスを食べ終えていた夏樹は、おかわりを取りに行くついでに、ぶどうゼリーを買ってきた。全部揃っていたら、完全にお子様ランチだった……。パスタもあったら完璧だ。
「はい、ごはん大盛り二つお待ちー!」
「ありがとうございます」
「それにしても、よく食うなぁ」
「まだ足りないです」
「マジか……。で、ごはん持って来たご褒美は?」
「どうぞ」
夏樹の口にハンバーグを入れてやる。もきゅもきゅ噛み締めて、「んまぁい!」と言っていた。『取って来い』ができたご褒美になったようだ。
ハンバーグも付け合わせのジャーマンポテトも美味かった。じゃがいものほくほく感とベーコンの旨味、黒胡椒の塩辛さ、どれをとっても美味しい。だが、まだ足りない。腹は満たされたはずなのに……。
「ごちそうさまでしたー!」
「ごちそうさまでした」
スプーンを置いて手を合わせた。時計を見る。三コマ目までまだ三十分ある。夏樹はスマホを見ていた。
「何かありました?」
「ああ。ふゆが炎上したって」
「は? 人体発火ですか?」
「そういう意味じゃねぇよ。ナマモノ界隈からお叱りを受けたってよ。ってか、隠れてただけで、おれと小焼で妄想してるやつけっこういたのか……。やべぇな。大学の競泳界では有名なんだってよ。へえ、知らなかったなぁ」
「何言ってるかさっぱりです」
「大丈夫だ。おれもさっぱりわかんねぇから!」
夏樹が何を言ってるかさっぱり理解できないが、楽しそうなことだけはわかる。なんとなく頭を撫でてやったら、嬉しそうに笑っていた。本当にずっと楽しそうだ。そうだ、プレゼントを買ったことを教えておこう。
「夏樹にプレゼントを買いました。明日私の家に届きます」
スマホを渡して購入履歴を見せる。夏樹は首を傾げていた。喜ばないな? どうしてだ?
「『奇跡の色白女子◯学生・巴乃メイちゃん。優等生がおじさんと教室でイケナイ遊び!〜うち、真面目そうに見えてエッチなの〜』をおれにくれるのか?」
「声に出して読まないでください。間違えました」
「メイちゃんって、けっこう胸あるんだな……」
「公式プロフによるとCカップですね。夏樹に見せたいのはこっちです」
「……え。おれ、メイちゃんのエロビデオのほうが欲しいんだけど。首輪とリードって……、しかもこれ、犬用じゃねぇか」
「動物行動学の教授オススメ品です」
「教授オススメ品って⁉」
「首輪の色は赤にしました。このリードは30mまで伸びますので安心ですね」
「何が安心かまったくわかんねぇよ……」
夏樹は何か不安そうな顔をしている。使ってみないとわからないものな。明日届くのが楽しみだ。
それにしても、何か足りない。まだ、欲しい。腑が疼いている。欲しい。
夏樹の頬を撫でる。くすぐってぇよと言いながら笑っている。何故だろう、ひどく、腹が減る。
「小焼。すごいエロい顔してっぞ。大丈夫か?」
「……腹が、減ったんです」
「今食ったばかりだろ! って、食欲と性欲は近しいものだとか教授が言ってたな。つまり! おまえは、腹が減ったらヤりたくなるし、ヤりたくなったら腹が減るんだな!」
意味はよくわからないが、超なんたらかんたらスポーツドクターの夏樹がそう言うなら、そうなんだと思う。頭がぐるぐるする。胸の辺りが痛い。なんとも言えない空白を感じる。これはいったい、何なんだ?
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