17 / 34

第17話

 エクスカリバーのシーンで腹筋が攣ったが、イギリス文学史の講義は無事に終わった。  腹が空いたな……。夏樹に渡す予定の菓子をひとつ、口に放り込む。辛い。痛い。なんだこれ、唐辛子そのままじゃないか? 素揚げにした唐辛子を菓子にするな!  こちらを見て、何か言っているが気にしない。気にしてられない。近寄らないでくれ。そのほうが楽だ。関わらなきゃ良い。気に食わないなら、近寄らなきゃ良い。無関心でいてくれ。嫌いになるより無関心でいてくれ。歩み寄らないで良い。「ひとりでさみしいだろうから」なんて安っぽい言葉も偽善も必要無い。ひとりで良い。さみしくない。  ――夏樹がいたら、さみしくない。  目の前を動物行動学の教授が通り過ぎて行った。動物行動学なら……犬もわかるか? 「先生、犬の散歩にオススメのリードをご存知ではないですか? できるだけ自由に遊ばせられるようなものが良いんですが」 「ああ! それなら――」  教授からオススメの首輪とリードを教えてもらえたので、カートに放り込んで注文した。明日には届くはずだ。……夏樹に好きな色を聞いてからでも良かったな? まあ、良いか。あいつなら、私が選んだものを受け取る。きっと。  スポーツ医学ゼミのドアをノックし、返事を聞いてから開く。夏樹とそのゼミ仲間の二人が部屋にいた。 「ナイスタイミングだな。ちょうどバイトで使う資料作り終えたとこだ!」 「そりゃ良かったですね」 「おう。慎吾、おれ、小焼と昼メシ行ってくるから」 「お幸せに!」 「お、おう……。ありがとな……」  何故か祝福されたな?  夏樹と共に校内を歩く。先ほどより見られている気がする。私と夏樹が一緒にいるのは、珍しくもないはずなんだが……、夏樹のジャージがブカブカだからか? それなら、ちっちゃいのがビックサイズの服を着たら可愛いものだから、仕方ないな。 「小焼は、何食う?」 「夏樹は何食べたいですか?」 「おっ! おれに食いたいもの聞いてくれるなんて珍しい! そうだなぁ……、オムライス! オムライス食いたい! エビフライついてるやつ!」 「お子様ランチですか?」 「ちげぇよ! あー、でも、ゼリーも食べたいな。ぷるっぷるの、ぶどうのやつ!」 「じゃあ、向こうの洋風食堂ですね」 「小焼は洋風で良いのか?」 「美味しい飯がたらふく食えたら何でも良い」 「相変わらずだなぁ」  頭の後ろで腕を組んで、夏樹は人懐こい笑みを浮かべていた。いつも笑っているような気がする。どうしていつも笑っているんだろうか。おかしいことは何も無いってのに。 「夏樹って、いつも笑ってますよね」 「ん? いつもってわけでもねぇけど、だいたい笑ってっかな。笑う門には福来るって言うしな! あと、おれは医者だからさ。患者を診るのに不安そうな顔してたら、患者も不安になるだろ?」 「お前は病院に勤務してないですけどね」 「あはは、それを言ったらおしまいだろ! まっ、笑ってたら相手も笑ってくれっし、嫌なこともそんなに気にならねぇよ。あくまで、個人の感想だけどな!」  ずっと笑っている……。疲れないのか? こんなに笑えることが少し羨ましくなるが……疲れそうだ。それより腹が空いた。早く何か食べたい。腹を撫でつつ歩く。  飲食店はキャンパス内に多く存在する。調理実習で作ったものを提供する給食や、どこかの一流シェフ監修の店だとか、ジャンルは様々だ。  今日は夏樹がオムライス――もといお子様ランチを食べたいと言うので、洋風食堂に来た。空席に荷物を置き、貴重品だけを持って食券を買いに行く。 「オムライスーララライスーふわふわオムライスーオムオムライスー」 「変な歌を作らないでください」 「え? 小焼、この歌知らないのか⁉ 遅れてるぞ!」 「知らないですよ。誰の歌ですか?」 「おれだ! 今作った!」 「……知るか」 「いだっ! 叩くことないだろー!」  こいつ、たまにすごくばかだと思う。医師免許を取得しているくらいだから、地頭は悪くないはずだ。ついでに栄養士免許も持っているらしい。それは必修科目をおさえていれば取得できるんだが……、医師免許は国家資格だから、夏樹はけっこう頭が良いはずだ。何を教えているかは忘れたが、塾講師のバイトをしているし、保護者の評判はけっこう良いらしい。ふゆが言っていた。  で、夏樹がオムライスのソースの種類に悩んでいる間に、私は北欧風シチューハンバーグ定食を頼んでおいた。北欧風の意味は何かわからないが、ハンバーグの入ったビーフシチューってことか?  定食なので、サラダ、味噌汁、ごはんがセットだ。ごはんを大盛りにしてもらった。おかわりするなら、ごはんのみの食券を買ってくる必要があるようだ。それは少し面倒臭い。  全てトレイに乗ったところで、席へ戻る。夏樹はけっきょくケチャップソースにしたらしい。「おばちゃんにハートを描いてもらった!」と言いながら来た。……ハートぐらいなら、私も描けるが? 「いっただきまーす!」 「いただきます」  両手を合わせてから、スプーンを持つ。ハンバーグには、クタクタに柔らかく煮込まれたほうれん草が添えられている。いや、シチューの具か。付け合わせは……ブロッコリーと……これはジャーマンポテトだろうか。  とりあえず、ほうれん草を口にする。独特の苦味と甘味がシチューとよく合っている。このシチューは酸味が強めだ。トマトの味がよくきいている。それがまた甘味を引き出していて、バランスが良い。  分厚くて存在感のあるハンバーグにスプーンを入れる。予想外にふかふかしていた。肉汁が溢れ出す。脂っこそうだな……。口に含む。存外に後味がさっぱりしていた。肉汁が溢れ出すほどジューシーだが、脂のしつこさはなく、さっぱりしている。きっとトマトの酸味が後味を軽くしていると思う。噛み締める度に旨味と甘味を感じられる。玉ねぎの甘味と胡椒の塩辛さが良い塩梅(あんばい)だ。美味いな。学食でこれは良い。ごはんがよく進む。……おかわりの食券を買いに行くのが面倒臭いが、もっと食べたい。ソースをごはんにかけるだけでも二杯ぐらい食べられそうだ。 「小焼。ハンバーグ一口くれ!」 「それなら、ごはん買ってきてください」 「あー、おかわりな。わかったよ。大盛りだよな? 二杯分買っとくか?」 「お願いします」 「あいあい。行ってくる。デザート食べよっと! ゼリー、ゼリー、ぷるぷるゼリー」 「何だあの歌……?」  既にオムライスを食べ終えていた夏樹は、おかわりを取りに行くついでに、ぶどうゼリーを買ってきた。全部揃っていたら、完全にお子様ランチだった……。パスタもあったら完璧だ。 「はい、ごはん大盛り二つお待ちー!」 「ありがとうございます」 「それにしても、よく食うなぁ」 「まだ足りないです」 「マジか……。で、ごはん持って来たご褒美は?」 「どうぞ」  夏樹の口にハンバーグを入れてやる。もきゅもきゅ噛み締めて、「んまぁい!」と言っていた。『取って来い』ができたご褒美になったようだ。 ハンバーグも付け合わせのジャーマンポテトも美味かった。じゃがいものほくほく感とベーコンの旨味、黒胡椒の塩辛さ、どれをとっても美味しい。だが、まだ足りない。腹は満たされたはずなのに……。 「ごちそうさまでしたー!」 「ごちそうさまでした」  スプーンを置いて手を合わせた。時計を見る。三コマ目までまだ三十分ある。夏樹はスマホを見ていた。 「何かありました?」 「ああ。ふゆが炎上したって」 「は? 人体発火ですか?」 「そういう意味じゃねぇよ。ナマモノ界隈からお叱りを受けたってよ。ってか、隠れてただけで、おれと小焼で妄想してるやつけっこういたのか……。やべぇな。大学の競泳界では有名なんだってよ。へえ、知らなかったなぁ」 「何言ってるかさっぱりです」 「大丈夫だ。おれもさっぱりわかんねぇから!」  夏樹が何を言ってるかさっぱり理解できないが、楽しそうなことだけはわかる。なんとなく頭を撫でてやったら、嬉しそうに笑っていた。本当にずっと楽しそうだ。そうだ、プレゼントを買ったことを教えておこう。 「夏樹にプレゼントを買いました。明日私の家に届きます」  スマホを渡して購入履歴を見せる。夏樹は首を傾げていた。喜ばないな? どうしてだ? 「『奇跡の色白女子◯学生・巴乃メイちゃん。優等生がおじさんと教室でイケナイ遊び!〜うち、真面目そうに見えてエッチなの〜』をおれにくれるのか?」 「声に出して読まないでください。間違えました」 「メイちゃんって、けっこう胸あるんだな……」 「公式プロフによるとCカップですね。夏樹に見せたいのはこっちです」 「……え。おれ、メイちゃんのエロビデオのほうが欲しいんだけど。首輪とリードって……、しかもこれ、犬用じゃねぇか」 「動物行動学の教授オススメ品です」 「教授オススメ品って⁉」 「首輪の色は赤にしました。このリードは30mまで伸びますので安心ですね」 「何が安心かまったくわかんねぇよ……」  夏樹は何か不安そうな顔をしている。使ってみないとわからないものな。明日届くのが楽しみだ。  それにしても、何か足りない。まだ、欲しい。腑が疼いている。欲しい。  夏樹の頬を撫でる。くすぐってぇよと言いながら笑っている。何故だろう、ひどく、腹が減る。 「小焼。すごいエロい顔してっぞ。大丈夫か?」 「……腹が、減ったんです」 「今食ったばかりだろ! って、食欲と性欲は近しいものだとか教授が言ってたな。つまり! おまえは、腹が減ったらヤりたくなるし、ヤりたくなったら腹が減るんだな!」  意味はよくわからないが、超なんたらかんたらスポーツドクターの夏樹がそう言うなら、そうなんだと思う。頭がぐるぐるする。胸の辺りが痛い。なんとも言えない空白を感じる。これはいったい、何なんだ?

ともだちにシェアしよう!